陶器作り

八月朔日(木)雨後陰後晴間
余の直属の上司はK氏である。K部長の上に研究所長が居て、さらに其の上は事業本部長のM氏になる。即ち余からすれば三階級上のM氏が夢に出て來た。今でこそ取締役執行役員といふ偉い役職に就いてゐるから滅多に口を聞くことはないが、余の出身高校の先輩に當ることもあり嘗ては氣安く話せる間柄であつたこともある。
さて其のM氏が言ふには奥さんが突然家を旅館にしてしまひ、「おかみ」に納まつたらしい。余はあの狭い家を旅館にして一體どれほどの客が泊まれるのだらうと訝しく思ふのだが、兎に角そんな事があつてM氏は陶藝を志すやうになつたのだと言ふ。既に作品もあるとのことで早速出して見せてくれる。最初は革靴を焼いたもので、どう見ても本物の黒い紳士物の革靴にしか見えないのだが、陶器だと言ふ。余は置物にでもするのだらうと思ふものの、余りに本物らし過ぎて飾り物としては難しい氣もしてゐる。次に出て來たのも下駄と雪駄を焼いたものだが、此方はただの四角い皿にしか見えない。「雪駄を作るのは縁起が惡いらしいんだが、焼いてしまつた」と言ふ。余も「さうなんですつてね」と調子の良い相槌を打つ。雪駄の焼き物は何かの禁忌に触れる地方があるといふやうな事を讀んだ覚えがある氣がしたのである。それから普通の繪皿も見せてくれるのだが、複雑な文様が細かく描き込まれてゐる割に大して巧いとも思へず、余は何と言つていいのか困つてゐる…。