五輪

九月四日(水)雨
内田先生に先に書かれてしまったが、五輪招致に私は疑問しか感じない。東京でやる意義や意味を見出せないのだ。64年の時は、確かにオリンピックを東京でやることに意義も意味もあったと思う。だからこそ招致に向けた人の動きに熱意と真摯さがあった。そしてそれがあったからこそ、素晴らしい大会になったのだと思う。ところが今回は、儲けの話しかしない連中が旗振り役であるから、そこに大儀も希望も見出しようがないのだ。今、というか2020年に東京でオリンピックを開くことに、冷静に見て何か特筆すべき理由など何も見つからない。猪瀬の汚らしい悪人顔をテレビで度々見せられるのも不快だし、誰しもが招致を願っているかのような報道も嫌気がさす。正直言って、イスタンブールになればいいと思う。五輪開催を損得でしか考えていない連中ばかりなのだから、仮に東京になってお金が日本に落ちたとしても、それが震災の復興には何の足しにもならないことは確実である。震災の復興に足りないのは、金ではなく困難に取り組む姿勢であり、それは64年の招致の際にはあって今の日本にないものなのだから。「東京に原発を」「福島でオリンピックを」と言えば、それは誰もがナンセンスと言うことだろう。ではその反対ならいいのか。「福島で原発再開」「東京でオリンピック」なら通ってしまいそうな、この国の人々の思考停止は空恐ろしい。良識が麻痺状態になり、どんな分野であれ経済の用語で説明さえされれば無批判に承認されてしまうことの醜悪さに、そろそろ気がつくべき時ではないだろうか。