巴水と周造

九月三日(火)晴
私は川瀬巴水が好きで、突然巴水の版画が見たくて仕方がなくなる時がある。先日思い切って東京美術から出たばかりの巴水作品集をほとんど衝動買いでアマゾンで註文して今日届いた。私としては高めの買い物で3150円である。そうしたら今日、たまたま大田区史のことを調べようとしていて大田区郷土博物館に行き当たり、この秋冬にその博物館で巴水の生誕130周年の大回顧展をやることを知った。三期に渡って展示替えを行い、しかも入館無料である。これは嬉しい。さらに、それに先立って蒲田の工学院のギャラリーでは9月に、巴水の東京を描いたものを集めて展示するという。これも無料。9月14日からなので、近くに行った際は是非寄って欲しい。懐かしくも切ない、江戸の名残を感じさせる大正の東京を目にすることができる筈だ。とてもこんな景色が東京にあったとは思えないような、浮世絵の血を引く美しい木版画の数々である。

図書館で九鬼周造全集の第五巻を借りてきて今読んでいる。「をりにふれて」という随筆集を読みたかったのだが、未発表随筆や押韻論も収録されていて、ぱらぱらと読むうち、あれと思って架蔵する岩波文庫の『九鬼周造随筆集』を開いてみて、この全集本から最良の随筆が精選されていたことを知った。私には九鬼周造もとても気になる存在で、今回読んで素直に好きになれたような気がする。全集本の旧字旧かなが何とも言えず暖かく柔らかく、そして周造の思考の襞に沿って読み進めるような心地よさがあった。全集本の刊行は1981年、私が大学に入った年だ。当時岩波の『図書』を講読していたから、この全集の刊行開始の広告も見た覚えがある。その時には将来自分がその書を読んで、これ程の感銘を受けることになるとは想像も出来なかった。

巴水や周造の居た時代への憬れもあるのだろう。巴水が周造より五歳年上、一見何のつながりも無さそうに見えるこの二人だが、私には何か似たような懐かしさを感じさせるものがある。二人に通底する、私を魅了する何かの正体を、いつか説き明かせたらと思っている。