極上の一夜

十月二十五日(金)陰後雨
半休して午後家に帰る。眠け強く一時間弱寝てから起きて着物に着替え、家人が帯を結び直すなど予定より遅くなったが三時過ぎ出発。藤沢より小田急に乗るも電車の連絡悪くさらに予定より遅く、五時半に豪徳寺着。雨の中徒歩ISIS本拠地、即ち本樓まで歩く。カザルスと土方巽に捧げる一夜、題して『意身伝神』に参加。参加費一人一万円を払って傘を預け、中に入ると掛りの人が空いている席を見つけて誘導してくれる。前から二列目の中側の席が空いていて、結局順に詰めてもらうことになったのだが、見ると私の隣が何と本條秀太郎さんである。結果的に家を出るのが遅くなったからこそこうした好運に恵まれた訳である。未詳を始め何度かお会いしているが私のことなど覚えていらっしゃらないだろうが、お久しぶりですと言ってしまえばこちらのもので、後は始まるまでの時間いろいろ親しく話をさせていただく。これだけでもラッキーである。


やがて定刻が近づき木幡和枝の同時通訳テープを音の背景としてプロローグのように木幡との出会いや泯さんとのいきさつを松岡先生がぼつぼつと語りだす。そして六時少し過ぎ、坂田明のサックスのソロ「鳥の歌」が始まり、書架を背後にした長大テーブルの舞台へと石原淋を肩車で載せた田中泯さん登場。繰り広げられるダンスに息を呑む。端正な顔だちの中にか弱さと強さを秘めた石原淋の鳥と、人であり権力者であり空への憧憬者であり、同時に鳥自身であるような田中泯が絡む、幾層にも重なり合ったイメージとストーリー。それらを具現化するのが文字通りのボディであることを痛いほどに感じる。そのからだが、鳥になるために経なければならない軋みや痛みがダンスというものなのではないか。私は今まで泯さんのダンスを数回見ただけで、『意身伝心』は読んだものの、彼の目指すものが何なのか理解している訳ではないのだが、わからないなりにふっと、こうではないかという思いがよぎる。そうした思念のようなものが上質の音楽とともに在る喜びは、今まで経験したことのない類のものだ。
その後も函館未詳でお世話になった井上鑑さん、バカボン鈴木といった音の達人が鳥の歌の限りない連歌を奏でる中で泯さんは躍った。特に松岡先生が土方巽の文章を拾い読みする中での泯さんの踊りには鬼気迫るものがあった。踊り終えてまだ息も弾む泯さんに松岡さんが感想を求めると、一言「悲しくなっちゃって」と言って涙をぬぐった姿に、会場は何か特別な夜に居合わせた気持ちにひとつになったような気さえする。師土方巽の残した言葉から、泯さんと土方の間にあった出来事や影響を想起していたことは明らかであり、師の存在の大きさを語る泯さんの少年のような恥じらいと憧れの入り混じった口調に、誰もが自分と師との関係に思ひを致したであろうことは疑いを入れ得ない。
一夜かぎりの音とカラダとコトバの饗宴、とはパンフレットにあった言葉だが、ちなみに、このイベントは『意身伝心』出版記念、井上鑑プロデュース『連歌・鳥の歌』プロジェクト共催、パブロ・カザルス40回忌、土方巽生誕85年に石原淋授名記念を兼ねたものであり、それだけでは一体どんな内容かを想像することすら難しいだろう。その場に居合わせていても、この夜行われたこの贅沢な饗宴を表す言葉はまだこの世に存在しないし、恐らく今後も存在することがないのだろうと思う。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。ただ、その場に居られた感動はしっかりと記しておきたい。かうした機會に初めて出る家人も大滿足の様子であつた。
演目(?)が終わった後の交歓會もまた格別であった。未詳の仲間たちはもちろん、鑑さんや松岡先生といろいろ話せただけでなく、泯さんには本にサインを貰ってお話することも出来たし、参加した様々なジャンルの高名な方々が代わる代わるマイクを渡されてのコメントも面白かった。中でも指名された秀太郎さんが鳥の歌をモチーフにして作った曲を歌った際の、その場の空気を一変させる力に鳥肌が立った。宴の夜はまだいつまでも続きそうであったが、僻地に住む悲しさで十時過ぎ暇乞いをして去るも、接続悪く終電一本前に辛うじて飛び乗っての帰宅となった。見聞きしたことや秀太郎さんや泯さんと話せたことの興奮冷めやらぬ、極上の一夜であった。