無欲化

六月十日(金)晴
水曜の夜野毛で元居た事業本部の後輩二人と飲む。嘗ては楽しい仲間であったが、今や会社を背負って立つ二人とは立場も違うせいか、職場や仕事の話題中心の彼等に付いて行けず。また、会社の人間たちや状況に対して思う事にも微妙にズレが生じているようで、大して楽しめず。それでも付き合いを続けていくのが普通なのだろうが、私の場合もう会わなくてもいいかなと思ってしまう。楽しければいいが、そうでない飲み会に行くよりは家でビールでも飲みながら野球中継で巨人が負けるのを見ている方がはるかに楽しい。私は人間関係で損ばかりしているから、もともと何か自分の益になると思って人と付き合うことはなく、一緒に飲んで楽しい相手としかそもそも飲まないのだが、その相手が最近とみに減りつつある。若い女の子というのも、最初は楽しいような気もするが、実際には退屈であるし、彼女たちにしてもこんなおじさんたちと飲んでも楽しくないだろうと思えば、もはや誘う気もなくなっている。何と言うか、楽しみの幅が狭まっているし、そもそも人と交わって楽しみたいという欲がすっかり減退しているのだ。つくづく、人間嫌いなのだと思う。思春期からそれは変わっていない。ただ、今はそうは言っても色々な人々の世話になっているからこそ生きて行けるということはよく分かっており、そのことへの感謝を忘れることはないというだけの違いはある。孤立や孤独は恐れないが、孤高や独立、独尊の存在になどなれないことは身に染みて分かっているのだ。
私の悪い癖は、嫌われていると思うと相手以上に先制攻撃のようにその何倍も嫌ってしまうことだ。特にドタキャンをされると、嫌われているとしか思えなくなり、暗い気分になって、二度と誘うかと心に決める。その結果誘える人がほとんどいなくなってしまったのも事実だ。因果な性格だと自分でも思う。そして、こっそり言うが、女性に対する興味もめっきり減退していて、BMの三人を除くと、女の子に魅力を感じることも殆どないのである