恋人

七月九日(土)雨後陰
私には満嶋ひかりに似た恋人がいる。嬉しくてならないが、心配で一杯でもある。大学のサークルの合宿のようなものに大勢で出掛けていたが、皆にはつきあっていることを知らせていないので、一応素知らぬふりをしていたからである。それで、帰りも別々になって私はひとりでパリの街を歩き廻って、誰もいない真っ暗な63番のトラム(本当はバスのはず)の始発の停留所に、半信半疑で待っているとやっと来て、満員の電車から様々な人種の人が降りてくる。それから私は乗り込んでいつものように一番後ろの席に座る。やがて走り始めるが、トリニテ教会を右に曲がったあたりからよく知らない街区に入ったので、いつでも降りられるよう前の方に移動する。やがてそれは東海道線の電車となり、戸塚を過ぎたあたりで私は彼女に電話を入れる。彼女は別の人たちと車で帰っていて、まだ伊豆のあたりだという。私は彼女に埼玉の実家に帰るのかと聞くが、電波が悪いらしく声を大きくすると、隣に座っていたどこか見覚えのある髭の体格のいいおじさんが私を見る。私がキッと睨み返すと目を逸らして何か独り言を言った。私はその後電車を降りて古びた商店街の大通りから横に20メートルほど伸びたアーケードに入って行く。すべてシャッターが降り、モルタルに塗られたペンキも剥げかかった、昭和を感じさせる佇まいである。私はその一角に腰を下ろしてアーケードの様子を眺める。やがて黒塗りの迎えの車が来て私を温泉旅館に連れて行く。それは合宿で来ていたところで、これで「振出しに戻る」なのだと合点が行った。荷物が多くて戻ったようなのだが、玄関で新規のお客さんだと思って仲居さんたちが出迎えてくれたのが申し訳ない思いであった。それから私は再び出掛けて大きなホールのような建物に入る。ロビーに人が集まっていて、これから見学コースに出発するところだが、生憎雨が降り始めたので、建物の中での映画上映に切り替わると会社の総務部のH君が説明していた。映画はつまらないので私はひとり外に出て、化粧品会社の創業者が住んでいたという洋館の、その修復中の敷地内にある石碑を見に行く。そこで再び私は彼女に電話をする。彼女は帰り道に母校に寄ったらしく、一本マストの船を見て再び海の仕事がしたくなったと言う。私はますます心配になるが、この後のセミナーで合流する事になっているので楽しみである。そして一緒に教室に入ると有名な教授が話をして、次回は四月二十八日の朝7時半からだという。皆が早すぎると悲鳴を上げるが、三名のゲストと言ってスライドが始まり、アフリカの原始美術が映し出されると皆黙り、これは早起きしても聞きに来なくてはという気になる。その後私は彼女と喫茶店に行くのだが、目の前にいるのはどう見てもイケメンの男性二人で、ひとりは松坂桃李に似ている。さてどっちが自分の彼女なのか当惑しているが、もしかすると彼女の彼氏なのではないかという疑惑も抱く。そう言えば彼女が合宿からの帰りに乗せて貰った車はランボルギーニだったというから、それはこの松坂に違いない。私は絶望しつつ、自分の自動車遍歴を綴ったノートを取り出し、忘れていた苦い出来事を思い出すのであった。