極端人

八月三日(水)雨後晴
南方熊楠柳田國男の往復書簡を讀んでゐる。樟腦について調べる中で明治末の神社合祀問題に行き當り、熊楠が猛烈な反對運動をしてゐたことを知つて、改めて熊楠に興味を持ち始めたのである。『南方熊楠と神社合祀』といふ、そのものズバリの本を讀んで合祀問題の概略を學んだ後、唐澤太輔なる人の中公新書南方熊楠』を讀んだ。これは昨年春の刊行で、書肆店頭にて平積みされてゐるのを見た覚えがある。余にとりてはこのやうな新刊に近い本を讀むのは久しぶりである。熊楠の全體像を再び振り返る事が出來、また熊楠の合祀問題への取組みの背後にある事柄についても大枠を知り得た有益な讀書であつた。
著者の唐澤氏の命名する通り、熊楠は正に極端から極端に振り切る「極端人」であつた。此の視点によつて熊楠への興味が再燃し、余は熊楠を久方ぶりに讀む氣になつたのである。熊楠の『神社合祀に關する意見』を讀み、同じく此の問題への言及が多く、また経緯も辿れる柳田との書簡集を讀み始めたといふ譯である。
それにしても極端人といふのは熊楠を評するのに言ひ得て妙であらう。酒に酔つての蛮勇がある一方で、初對面の人と會ふ際には緊張の餘り酒を飲まねば居られなかつたり、世界の學問の中心倫敦で研究に励み、特定の分野ではあるものの名聲を博したかと思へば、歸國後は那智の山中に隠棲して人との交はりを殆ど絶つたり…。該博な知識と粘菌への異様な執着を見せる一方で、合祀問題に深入りして研究が手につかなくなつたり。今讀んでゐる書簡集にも、柳田に宛てた、二週間に渡つて書き繼がれた恐ろしく長文の手紙が収められてゐて、偏執的な集中力には舌を巻くばかりである。余も周囲の者や友人に極端であると言はれることが多いのであるが、熊楠大人に比してしまへばめつきりの小物、殆ど常識の範疇に入つてしまふ。とは言へ、此の程度の極端さでも―といふのも變な言ひ方になるが―世間を渡る上で何かと不都合や軋轢が多い事を知る余としては、熊楠の困難や生き難さが偲ばれるのである。
尤も、熊楠はそれでも數は少ないものの著作を殘し、膨大な書簡とともに、多くの傳説を殘した。生きる上での苦労は絶えなかつただらうが、ひとりの人間としてその一生が失敗だつたとは言へまい。いや、多くの人間に尊敬され大きな足跡を殘し得た点で、普通の人間からすれば成功した人生と言へやう。余は最近つくづくと、自分の一生といふものが完全な失敗であつたことに寂しく同意するしかない氣になる。全ては自分の愚かさと、誤つた選択の結果に過ぎないのだが、もはや取り返しのつかない年齢となつた今、より小さくまとまるのではなく、同じ事なら自分らしく、ほんの少しでも極端さに殉じて身を処して行かうかとも思ふ。嫌な事ばかりの今の職場と職務を放り出して、極端さを貫かうかとも迷ふのであるが、さりとてさうして家族や我が身を養ふ糧を得る手立てもないから逡巡して結論を得ない。全くのどつちつかずで、とんだ小極端人もあつたものである。