野溝七生子というひと

九月二十八日(水)晴後陰
矢川澄子野溝七生子というひと』読了。先日目黒川沿いの古書肆でその存在を知り、アマゾンで調べたら安く出ていたので購入して早速読んだものである。恐らく、矢川澄子野溝七生子も、今では余り知られた存在ではあるまい。矢川は、本人はそんな紹介のされ方を嫌がるかも知れないが、澁澤龍彦の最初の夫人だった人で、著作や翻訳も多い。一方の野溝は若い頃小説を書いていた人で、恐らくこの本もひとつのきっかけとなって死後に再評価されて作品も再出版されている。私は五六年前になるだろうか、そのうちのひとつ『眉輪』を読んで興味を持ち、文芸文庫に入った『山梔』と『女獣心理』を買ったものの、そのまま読まずにいた。
実を言えば、矢川澄子の書いたものを読むのは、ポール・ギャリコなどの翻訳物を除けば、これが初めてである。もっとも書簡体で書かれているので普通のエッセイとは文体が異なるのであろうが、それでも、その文章はさすがにきちんとしていて、久しぶりにきれいな日本語を読んだ気がしている。俄かに興味が増して『「父の娘」たち』という、森茉莉アナイス・ニンを扱った本と『受胎告知』という没後刊行の本を注文した。松岡さんが「千夜千冊」で取り上げた『反少女の灰皿』も買おうと思ったのだが、こちらは高いので保留にしてある。
さて、今回読んだこの本、矢川が親戚の縁で若い頃から野溝の知り合いで野溝の晩年に頻繁に会っていたことや、最晩年には野溝が少々精神に異常を来していたことなど、知らなかったことも多いが、何より軍人の家に生れて父親の虐待を受けたらしい野溝の生立ちがおぼろげながら明らかになっていく様は、書簡体の丁寧なことば遣いとも相まって、中々迫力があった。野溝と並んで評されることの多い森茉莉も、軍属の父親を持ったことでは共通しているが、父親との関係から始まって何もかも野溝と対照的であることは、その両者と親しくした矢川だからこそ感じとれたことであろうと思うが、それにしても野溝の幼少期は痛々しい。
自衛官だった父親から酷い折檻を受けていた女性を知っている。浮気をしているのに母親を過剰に大切にし、娘ふたりには虐待を繰り返す父親を持ったこの女性も、精神を病んでいるとしか思えぬ異常な言動が目立ち私は大嫌いだったのだが、この本を読んで妙に腑に落ちるところがあった。そして、その作品はともかく、野溝七生子という人にはこれ以上深く踏み込みたくはなくなった。その心中があまりにもおどろおどろしくて追究する気になれないのである。その点は「パッパ」との良い思い出を大事に持ち続けた森茉莉の方が気は楽である。しかも、野溝七生子は小説を書かなくなった後で長い間、その森茉莉の父森鷗外の研究を続けていたというのだから因縁話めいている。
野溝よりは、この本によって矢川澄子の方により興味が向いている。最近は続けて原武史のものを読んでいるが、注文した本が届いたらしばらく矢川澄子の世界に浸ってみようかと思っている。私自身の資質の中に、彼女に近いものがあるように感じだしているからである。