アニメと実写

十二月十六日(金)晴、寒し
こうの史代『夕凪の街桜の国』読了。これが「広島もの」の原点であるらしい。こちらは『この世界の…』と違って、被爆した家族を直接描く。それが現代にまで続く姿を描く。ヒロインの女性たちのセリフが全部のんさんの声に聞こえてしまう。彼女の広島弁の可愛らしさが耳に残っている。だから余計に泣ける。
それにしても、マンガは今やかつての小説の地位にある。オリジナルという言葉に忠実な「原作」としてのマンガ、それは小説や戯曲のように他のメディアの文字通りのオリジナルになる。アニメ映画になるか実写映画になるか。『この世界の…』も実写があったことを知り、しかもその配役を知って激しくショックを受けた。死んでも見たくないすずさんである。わたしはだいたい、マンガの実写版というのを好まない質のようである。考えてみると、これはわたしが歌舞伎よりも文楽を好む嗜好と通ずるものがあるようだ。文楽と歌舞伎がほぼ似た脚本を演ずることは多いが、歌舞伎の生々しさから来る鼻白む感じよりは、やはり人形浄瑠璃のあえかな世界に魅力を感じるのである。先日会社のレクリエーションとやらで歌舞伎座に赴き「菅原伝授手習鑑」寺子屋の段を観たのだが、前に観た文楽の方がはるかに感銘を受けた。実写は役者の表情が出てしまう分好き嫌いがはっきりするのかも知れない。歌舞伎俳優ですらそうなのだから、マンガの実写の、ましてテレビ版など絶対見ていられないと思う。それは最近の小説が、ちょっと読んだだけでも文章がひどすぎて読む気がなくなるのと妙に通底する。現在のアニメの技術は高いから、不安定な俳優の演技より、きっと文楽に似た端正さを表現できるのであろう。今ざっと思い返しても、マンガを原作とした実写版で良いと思ったものは思い浮かばない。たくさん見ているわけではないが、ヤマトもひどかったし、健さんのゴルゴもきびしかった。見てはいないがルパン三世も宣伝を見ただけでダメなのはすぐ分かる。良い部類に入るのは『自虐の詩』くらいか。ただ、原作が小説の場合アニメでどうか、あるいは実写でどうかと思ってみると、こちらはやや実写優位か。小説を読む際にアニメに出て来るような顔を思い浮かべることはないから、アニメ顔に違和感を覚えるのだろう。それはともかく、やはり実写よりアニメ、歌舞伎より文楽だと自分の好みがわかったので、来年二月の文楽公演には是非行こうと思っている。近松の『平家女護島』は初めてなので楽しみである。