事故の顛末

十二月二十五日(日)陰
午後七時過ぎ、そろそろ退社しようと思っている。いつもの蒲田のオフィスで私はコンピューターで何か作業をしていた手を休め、ふと見事な枝ぶりの枯れ木二本が工場のすみにあるのに目をとめた。今度天気のいい日に青空を背景にその写真を撮ろうと思っていると、木々の手前の蒸留塔の頭部が爆発して目の前を右から左にロケット弾のように弧を描いて飛んだ。そして落ちた先が大きなタンクで、穴があいたのか大量の水が構内に流れ始めた。私は周囲にいた同僚に、目の前にある1メートルくらいの高さのある避難通路に上がるように促した。そのとき靴を脱いでしまったことが後々痛恨事となる。ともかく、通路に上がるとみるみるうちに奔流となった水が押し寄せて机近くに置いた鞄も何もかもが流されてしまう。これでこの平塚工場もおしまいである。製造が止り、顧客に製品を届けられずに信頼を失い、他社に切り替えられるなどしてダメージからの回復に少なくとも5・6年はかかる。私は友人のK工場長のことを考えて気の毒になった。これでは開設70周年を祝うどころの話ではない。責任問題も浮上するだろう。しかし、今は人の心配をしている場合ではない。もっと早く退社していればこんな目に遭わずにすんだのに、靴もなく定期も財布もない。それでもやむなく裸足で駅に行くと、もと同僚のN氏がいて、彼はスイカを持っていたのでそれを借りて切符を買うことにしたのだが、蒲田から川崎までの運賃がどこにも書かれていないので手間取り、しかも一番安いのでいいと思って買おうとしたら4枚も出てきたりで、今度4枚分返金するからと言いながらプラットホームに降りると丁度電車が出たところで、次はなんと22分後だという。やっと来た電車に乗ると多摩川が氾濫していて橋の上まで水位が上がっているのだが電車は構わず走って行く。この水も平塚工場の事故によるものだとしたら、損害賠償はどれくらいの額になるのか見当もつかない。私はそのまま地方の支店に事情を説明しに行くことにした。支店は場末の裏通りにあって、痩せていて地味な顔だちだが魅力のある40歳前後の女性がひとりで仕事をしている。知らなかったのだが、地方では現地で香料を調合して売っているのだという。そこで私は、当面支店にある原料でまかなえるものはそのまま製造販売を続け、平塚工場が再稼働し始めてからは手持ちの原料を送ってもらうことになるかも知れないと指示を出して帰ろうとする。私は出口に立って帰ろうとするが、不安そうにしている彼女を見て急に抱き寄せて接吻をして、「まだ(出発には)時間があります」と言うと彼女も嬉しそうな顔をして、ふたりで事務所に戻ってまぐわうのであった。それから私は本社に戻るとちょうど昼休みで皆が雑談をしている。営業のYが実は野球が上手であることを皆が賞賛しているのを嫉妬する。そのYが私に先日の懇親会の会費を払ってくださいと言う。払ったはずだけどと言うと、写真代ですと答える。幾らだと問えば千円でとの答え。私は机に財布をとりに行くが周囲で笑い声が起こり、私は騙されていたことを知る。そう言えば先日Yが、わたしの好きなO嬢とふたりだけで食事をしていて、Yが居眠りをしているのをOが愛しげに見つめているという場面を見たことを思い出し、何重にも負けている自分に悔しくてならないのだが、周りにせかされて私は1番ホールのティーイング・グラウンドに急ぐのであった。