おじさんの声

二月十六日(木)晴
昼休みの散歩で駅前からの通りを歩いていた時のことである。向こうから歩いて来た夫婦連れらしい初老のふたりが、通りの反対側にある飲食店を見て、ちょうど私とすれ違うさいに、その夫の方が「おいしそうな焼肉屋だな」と言った。私は何故か懐かしいものを感じて振返ってその男性の姿をちらと見、さらにその先の焼肉屋を見た。今どきの焼肉チェーン店にありがちな派手な店ではない地味な店であり、男性も中肉中背のジャンバー姿であった。そして、耳に残るその声が、何故私を懐かしい気にさせたのかが少しずつわかり始め、目に涙が浮かんだ。
そのやや低いトーンであたたかく、気取りのない声、よそ行きでない、自然体の、多少ぶっきら棒でありながらやさしさを感じさせる声…。そう、そういうおじさんの声を以前に当たり前のように聞いていた頃があった。父が工務店をしていたこともあり、家には毎日のように、左官屋や鉄骨屋、硝子屋や鳶職といった諸方とよばれる職人たちが来て、食事をしたりお茶を飲んだりしながら、話好きな父とよもやま話をしていたのである。子どもだった私に、職人のおじさんたちは気安く話しかけ、冗談を言って笑わせた。親しみやすく気取らないその声が今も耳の底に残っている気がする。そして、その時は気がつかなかった、おじさんたちの優しさやあたたかみが今になって強く感じられるのである。そうしたおじさんたちの声に、すれ違ったおじさんの声は似ていた。自分も充分におじさんなのだが、子どもの頃に聞いた「おじさんの声」なのである。
そうした声質というか、話し方というのか、とにかくおじさんの声に久しく出会わなかった気がする。会社には絶対にいない。よそ行きの、よそよそしい、あたたかみのない、とりつくろった、気取った、顔色を窺うような、緊張した、不機嫌な、人を馬鹿にしたような、冷たい、わざとらしい、猜疑心に満ちた、調子にのった、こびへつらった、事務的な、見下した、必要なことだけを言うことに決めているような、へらへらした、ふざけきった、世の中をなめきった声、声、声…。そんな冷ややかな声の中にずっと自分はいたことに気づき、あんな気取りのないおじさんの声に囲まれていた幸せな時代はもう二度と戻らないのだと思ったら涙が出た。何と世間体ばかりを気にした声の出し方をする人ばかりになってしまったことであろう。今や誰もあんなに気安く自然体には喋らない。同僚同士、友達同士であっても、電車の中や街中で聞くその声は、どこか作った感じの強い、他人行儀な、わざとらしくて鼻持ちならないものばかりなのだ。誰もが、非難されるのを恐れてか、自分らしさを出来るだけ隠して平準化、あるいは年齢や社会階層によって類型化された今風の喋り方をする。もちろん文体に相当する「話体」のようなもの、用語やジャーゴン、イントネーションやアクセントに差異は見られるものの、おじさんの声のようにくつろいで飾り気がなく、それでいてあたたかい声というものを耳にすることは極めて稀である。
上手な噺家の喋り方は、ある種の懐かしさを感じさせはするのだが、それでもやはり演じていることに変わりはない。大工の熊吉に限りなくそれらしくなれても、本物の大工の石太郎にはなれないのだ。ちなみに石太郎は私の祖父の名前で、私の生まれる前に亡くなっているので会ったことはないが、おじさんの声の延長線上に、頑固でぶっきら棒なその声を想像することが出来るのである。
自分があんな素敵なおじさんの声を発してはいないことはよくわかっている。気持ちに余裕があって自分の人生に自信を持ちながら、謙虚で飾らず、かと言って畏まることもなく、真面目でいて茶目っ気もあるおじさんに、なりたいと思っていた訳でもないが、結果として成れなかったことは事実で、そのこともまた、今になってみると残念な気持ちにはなるのである。あんな声で話すことの出来るおじさんに自分がなっていたとしたら、人生もまた随分と違ったものになったであろうからである。