紫陽花

六月十四日(水)陰後晴
あぢさゐの季節になつた。朝晩の通勤に通ふ川沿ひの道にも、今朝立ち寄つた圖書館の植込みにもあぢさゐの花がほぼ満開である。余はよくある群青から紫紺の紫陽花や愕紫陽花があまり好きではない。見飽きたといふこともあるが、今日のやうに晴れてゐる日には入院中の病人が晴れ間に散歩に出たすがたのやうに、どこか痛々しく見えてしまふからである。雨だれにうたれ湿り氣に霞む風情はあるにしても、最盛期を過ぎると急に朽ちた感じで衰へが進むのも哀しいし、梅雨明けの炎天下に殘骸をさらしてゐるのは見てゐて樂しいものではない。ただ、最近は偶に見かける白い紫陽花が氣に入つてゐる。…と書き始めた處に、毎月花の便りを寫眞付で送つて呉れる知人のメールが届き、見ると案に違はずあぢさゐの寫眞であった。ひとつは今まで見たことのない「金平糖」といふ名の愕紫陽花で、すがたも可憐で色もなかなか綺麗である。あぢさゐの語源が「藍色が集まつたもの:あづさい(集眞藍)」が訛つたものであることも教へられた。此の季節は藍色から紫に近い花は多くて、さういふ色では瓣の小さな花を好むのだが、送られたもう一枚の美しいあぢさゐの寫眞を見てゐて、あぢさゐは要するに色彩のグラデーシヨンが湿り氣の中でしつとり見えるのが良いのだと納得した次第である。それは目に見えるかたちで現はれた、日本の梅雨の湿度が生む情調なのであらう。