きれぎれの記憶

七月十四日(金)晴
家が二箇所に分かれていて、2 ・300メートルあるその間をしょっちゅう行き来している。一方の家には母がきれいな日本髪に結って着物を着てすまして座っている。二階の私の部屋には娘のアキノが教科書や菓子などを机の上に置きっぱなしにしていて、私があそこを自分の部屋にするつもりかと聞くと、「そんなことないよ」と答える。私はもうひとつの家に向かって小雨の中枕を抱えて走っている。鍵でマンションのオートロックを開け、さらに同じ鍵でエレベーターを呼ぶ。やがて来たエレベーターに乗って上に昇り始めるが、自分ひとりだったはずが人の気配がするので驚いていると天井から腰あたりまでの仕切があってその向うに人がいるのであった。しかもいつの間にかエレベーターは一階に向かって降りていて、着くと仕切の向うから中国人がたくさんドヤドヤと降りて来た。そのまま外に出て行ったが案の定オートロックの扉を開け放して行った。困ったものだと思っていると、昔愛人だったYがやって来て私にレシートを渡す。昔と同じように、情事の前に酒やつまみを買って来てくれたのだ。私はYに扉を閉めるように頼み、戻ってくるYを待ってエレベーターの開扉延長ボタンを押す。これから始まる情事に思いを馳せるが、こっちの家に家族は来ないのか、いやむしろ誰か住んでいたような気がして心配し始めていた。

電車に乗っている。ドアーの上のモニターを使ってブログの文章を打っている。出来上がってアップしようとするが、ネット環境にないことに気づいてあきらめ、とりあえず文章だけ保存する。家に戻り、アキノが教科書を置きっ放しにしてある書斎で再び開くと、一部が欠けている。電車で打ち込んだことを後悔し始めるが、いじっているうち欠けたのではなく、その部分だけフォントが無色に設定されていたため、黒に戻したら読めるようになった。

それから打合せがあることを思い出して本社に急いで行く。ところが一向に始まる気配がない。主催者は誰だったかを聞くと、「M上」だという。「三田会だからしかたがない」という。慶應出身でもないのにお高くとまって使えない人間を三田会というのだそうだ。私は言い得て妙だと思って噴き出した。

寄席の開場前で客が並んでいる。中に談志やぐつさんがいる。二人は周囲の客と氷川きよしについて雑談を交している。氷川は身長が147センチしかないのに舞台では大きく見えるとのこと。やがて開場となり中に入ると体育館のようなところで、小さな舞台の前には玉座のような椅子と、横にソファがあり、その後ろに床に座布団代りの布が置かれただけの席が30人分ほどある。談志が玉座に座るのだろうと思っていたが、そのまま一般席に入ったようである。プログラムを見ると踊りや演歌、浪曲、講談と盛り沢山である。するとすぐに着物の女性が現れ、舞台の上の木枠の中に納まる。見ると顔だけ本人で首から下と手が別人という、すなわち二人羽織のような状態で歌い始める。それは自分が男から厭きられたことを切々と歌い上げるものだが、途中からアップテンポになって行く。そして、それでも私はこの家が好き、と言って家に見立てた木の枠をぺろぺろ舐めはじめる。これがこの芸人の持ちネタらしい。そして、次に何かお決まりのことがはじまるらしく、それを知っている客がざわざわし始める。すると、芸人の腕の方が手をすっと出して、親指と人差し指をつけたり離したりを続け始め、それが手拍子となって、女芸人が「ねば、ねば、ねば、ねば」と唄いだす。これが有名な「ねばねば音頭」だとやっと私は気づいた。観客は大喜びである。そして、ぐつさんだけは、この音頭にアドリブで唱和することを許されるのだが、それが全然面白くないのである。私はこの山口某という芸人、テレビによく出るわりには核となる芸がないので、まったくダメだと評価していたことを思い出していた。