文藝

七月十七日(月)晴
先週から南総里見八犬伝を読み始めた。M倶楽部で安房の国に行った縁もあり、思い立って読むことにしたのである。小学生の頃ダイジェスト版のようなものを読んだきりで、きちんと読んでいなかった。今回は岩波文庫である。先年同じ岩波文庫平家物語を読んだが、その時は脚注に大いに助けられた。ところが今回のものは註らしい註がない。最初危ぶまれたが、読み始めるとわりにすらすらと読める。近世の文章ということもあるが、何といっても馬琴の流麗な文章がすんなりと腑に落ちつつ読めるのである。それは多分に、使われる漢字と、その実際の訓読みではなく意味を汲んだルビとの両者が理解を助けるという部分は大きいが、それ以上にやはり馬琴の文章が冴えているからではないかと思う。だから、いちいち脚注などで邪魔をされては文章の醍醐味を味わえない。註釈なしはその意味で正しい選択である。読んでいて楽しくなるような文章。…落語や講談が「話芸」なら、まさしく「文芸」と呼ぶべき文章の芸であり、その名人芸である。筋立てや伏線や、秘められた因果の糸といった面白さは勿論抜群なのだが、それも文章の力あってのことである。現代の小説なんどでは到底味わうことの出来ぬ楽しみを、当分の間堪能できそうである。