転勤その2

十月九日(月)晴
海外から戻って営業部長に就いたSという男のことを弾劾する人々がいて、Sが如何に上にばかり媚び諂い、下を軽んじ雑に扱っているかを喧伝している。私もSが大嫌いで彼らの言う通りであるし、そもそもあんな奴が営業部長で大丈夫なのかという危惧もあった。それで彼らが街頭インタビューのようなものをしていて私にマイクを向けたので、私は思わず「彼は昔からあんなでした」と言ってしまう。それがテレビで流されたらしく、S部長は怒って辞任を申し出た。事は大きくなって私は役員に呼び出される。私は首も覚悟するが人事部が動いたようで、廊下では「大した人事部だよ」という噂話を聞く。自室に戻ると研究所のTが突然呼び出されたらしく困惑しながらいつもの愛想笑いを浮かべている。事態を了解した私は「またやらかしまして」と言って、「もうお聞きになりましたか」と聞く。すると曖昧な返事をするが、重ねて私がいつからTの下に転勤となるのかと聞くと、今日からだと言う。そして、それまでの愛想笑いが消え、作業着は必ず着用し廃液処理も自分でしてもらうからと厳しい口調で言う。私は「わかりました。ひとこと言わせてもらっていいですか」と断ってから、まず「よろしくお願いします」と言い、それから「とは言え、俺は俺だから」と啖呵を切った。それから転勤のため机を片付け始める。私は研究所のライブラリー室に転勤となったのである。第一線ではないものの、香り作りに戻れることと、首ではなく配置転換で済ませた会社の温情に感謝しながら、それでも社史の編纂はどうなるのだろうかという心配もしている。同僚の若い女性は今日のうちに突然転勤になるということで驚いているが、荷物の片付を手伝ってくれる。送別会とか転任の挨拶もなしですかと聞くので、私は笑顔で「もちろん、ないよ」と答える。次第に研究に戻れる嬉しさの方が大きくなっている。作業着を着て殊勝に働かねばならないが、それでも香りに携われると思えば楽しい。一生懸命働いて香り作りの勘を取り戻したら転職してしまうのもいいと思ったり、優しく可愛い女の子たちとまた一緒に働けるのが楽しみだと思ったりで、反省の色はない。そして、前の職場に戻っての挨拶を「波乱の多かった私の会社人生でしたが、ここが終の棲家になるよう、地に足をつけて頑張りたいと思います」にしようと考えていた。