神保町界隈

十一月十四日(火)雨
神田と日本橋方面に用向きがあり、晝の合ひ間に神保町まで足を伸ばした。久しぶりの古書肆街である。古本屋以外の店は變はつてしまつた處も少なくないが、古本屋は昔のままの店が多いやうである。獨特の匂ひに四十年前初めてこの街に入り込んだ頃のことが思ひ出された。最近は古本もネツトでばかり買ふやうになつてしまつたが、今思へば私は大學でよりも古本屋に於いて多くを學んで來たのである。本のタイトルと著者名を目で追ふだけでそれは随分勉強になる。同じことを圖書館でやつても駄目で、俗氣のある本が多いのと分類によつて整ひ過ぎてゐるから、特定のものを調べようとするのでない限り面白くないのである。その點、もちろん古本屋にも分類分けはあるものの、圖書館であれば置いておかなくてはならない本があるが、こちらは店によって絶對に偏りがあるから、それが面白いのである。多くの店に置いてある本は「地」の本となって視界から消え、目新しい本だけ目に入るやうになればしめたものである。珍本、新奇な本だけを手に取り確認して行くだけでどれだけものを知る手立てとなることか。著者やその著作、目にする度合いや値段から、色々なことを理解して行く。専門の學問に入ると、古本屋に置いていないその學界の古典や専門書が必要となるのだが、教養課程としては下手な講義を聞くより古本屋に毎週二時間通つた方がよほど教養は身につくのではないかと思ふ。とは言へ、こんな初老の勤め人のもの思ひなど、古臭い教養主義と糾弾されてしまひさうな時勢であり、如何ともし難い。結局何も購はずに用事の先に向かひながら、神田神保町の古書肆街がこの先も在り續けてくれることを祈るのみであつた。