和疲れ

八月九日(木)陰
このごろの自分を振り返ると、これは和疲れではないかと思えて来た。思えば、2009年に失脚と離婚が重なって精神的な危機を迎えた時、縋ったのが和のものであった。鎌倉の禅寺に坐禅に通い、書道を再開し、香道を習いはじめ、尺八を再び習いはじめた。花を活け、和歌を詠み、着物を着るようになった。食べ物も和食しか食べなくなり、必然的に飲むのも日本酒になった。フローリングに畳を敷いて和室もどきをつくり、文机と座布団を買って、線香を焚いて書をしたり坐禅をしたりした。こうした生活の延長で知り合った今の家内の実家で茶も習いはじめ、着物もたくさん作った。茶会や香席に出かけ、観に行くのも日本画がほとんどになった。音楽はもちろん邦楽で、尺八のほか浄瑠璃、端唄など三味線ものに親しんだ。文楽に通い歌舞伎も観に行き、雅楽や能にも行った。京都の寺と庭をめぐり、八犬伝をはじめとして古典にも親しみ、くずし字の読解にも取り組んだ。一時は鎖国のように、海外のものを拒絶していたことすらあった。それでいて、ネットやマスコミ、あるいはあなたがチューブなどでよく見かける、日本賛美のくだらない言説に出会うたびにげんなりと吐き気も催した。日本人にもし美徳があるとしたら、それはまさに自慢したり、これ見よがしに何かをしたりすることを恥じるということだろうに、それらはまさにその美質を欠いた行為なのだから、何をかいわんやである。そして、社史の勉強であらためて明治以降の日本の歴史の、特に昭和の出来事の細部に分け入ってみると、日本人の醜悪な面ばかりを知ることになり、貧しくかつ僻み根性と他人への猜疑心から成り立っているこの民族の、どこをどう曲解すれば自慢する気になれるのか、まったくもってその精神構造を疑いたくなるのである。もちろん、優れた日本人、ものの分かる日本人、素晴らしく尊敬できる日本人は決して少なくはない。しかし、わたしの尊敬するような日本人は、決してあるがままの日本人をそれで良しとすることはないし、むしろ謙虚に改めるべき点を指摘することの方が多い。だから、ネット上の中傷だとか、学校のいじめにしても、パワハラ、セクハラにしても、特定の日本人が急に悪くなったわけではなくて、おおかたの日本人がもとから持っている悪質が表に出ただけだという気がしている。わたしは現在日本人の良いと思われている、空気を読んだり、周囲に配慮したりする姿勢というのも嫌いだし、その根底にある底の浅い人生観に嫌悪を催す。とにかく、マジョリティになった時のこの民族の卑劣さは比類がない。わたしはだから常に日本人の中のマイノリティでいたいと思うし、実際そうなのだ。日大にしてもボクシング協会にしても、もちろんトップで権力を握る張本人が悪いのは確かだが、それ以上に周りで最高権力人に媚び諂う、取り巻きの連中に一番吐き気を催す。それが典型的な日本人の処世術に思えるからである。こんな風に嫌悪感が募っていれば、ある日とつぜん和に疲れ、すべての欺瞞に耐えられなくなり、すっかり自分の中の日本人性を脱ぎ捨てたくもなろうというものだ。だから、今回のことは突然に見えて実は積もり積もったものが極限に達しただけであることが、やっと自分でも理解できたのである。和のものには良いところももちろんあるし、美学的にすごいと思わせるものは確かに多い。それでも、そうした美質すら結局このひねくれた国民性が生み出したものだと思えば、さっぱりと捨て去りたくもなろうというものだ。潔さこそ、わが大和民族の美風ではないか。とは言え、十代のころ憧れた西洋文化についても、あの頃のように素直に肯定できるものでもなく、結局良いところは良いと認め、素晴らしいものには賛美を惜しまないという、それはそれで極めて資本主義的な倫理に落ち着くことに対する苛立ちがないわけではないのだが、ヤマトとラテン文化のはざまで揺れ動くしか今さらほかにありようのない自分であってみれば、当分意固地のように日本酒を拒否してやせ我慢をつづけるしか出来ることはないのである。ちなみに、かつては福沢の痩せ我慢の説に、海舟贔屓のわたしは冷笑を浴びせかけていたものだが、最近は日本人に残された抵抗の手段は痩せ我慢しかないのではないかと思い、ちょっと同意する気になりつつあることをつけ加えておく。