音曲の日本

十二月十四日火(陰)
元亨釈書』書写二日目。昨日とほぼ同じ生活。昨夜の分に陳思王といふ名があり、調べて見ると魏の曹操の五男で詩人としても名高い曹植のことであつた。曹植には魚山で天上からの奏楽を聴き其れをもとに梵唄を作つたといふ伝説も残り、母親が歌姫だつたこともあるのか、声明や梵唄とは縁が深いやうである。ちなみに京都大原の地にある寺は魚山といふ山名を用ゐてをり、天台声明の中心地たることを示してゐる。五月にその大原を訪ねて泊まつたのだが、翌朝になつて前の晩に声明の聴ける会があつたことを知つて残念がつたことがある。その時にはまだたいして声明に興味があつたわけではなく、今となつては本当に残念である。古代から中世の社会や宗教・文化における読経や声明を始とする様々な声や音曲の存在は、今まで知らずにゐた日本の姿を垣間見させてくれるやうで興味が尽きない。