竹といふ名の友

七月八日(金)陰
明日は如道会の演奏会である。わたしも流し鈴慕を連管で吹く。それで今週はなるべく早く帰つて家で練習をする積りが、かういふ時に限つて忙しくなつて定時直ぐに退社できないことが多かつた。家に着いてすぐ吹き始め、八時には止める。隣近所の迷惑を慮つての自主規制である。其れから自転車で近くのスーパーに弁当を買ひに行く。それが此の二日続いた。スーパーに行けば、つい目に入つた菓子やら酒の類に手が伸びる。今日も桃のチユーハイを買つて家で飲む。
ひとりの生活になつてから二年と五ヶ月、慣れたといへば慣れたのだらうし、何時までも慣れないといへばさうも感ずる。新しもの好きだつたみどりさんに、初めて飲んだ桃のチユーハイが案外美味しいよと言ひたくなつて涙がこみ上げる。
食後には昨晩洗濯して夜中の間に風呂場で乾燥させ、朝シヤワーを浴びる前にリビングに移し置いた洗濯物をたたむ。土日に朝から出掛けてしまふ事が続いて、平日の夜しか洗濯ができないのである。今日は其の後に台所に溜まつた食器を洗ひ布巾を漂白液に漬け、嶺庵の掃き掃除もした。炊事こそしないが掃除洗濯、食事入浴睡眠といふ、ごく平凡な日々を繰り返してゐるだけなのだが、それが出来るやうになるまでに、此の二年半の大半の時間を費やして来たやうな気もする。尺八を再開したのも、何かをしてゐないと居たたまれなかつたからである。それが思ひの他続いて明日が自分の出る二度目の演奏会といふことになる。
此の先長年同じことを続け、ごく自然に日々黙々と練習をし、本番でも淡々と演奏できるやうになりたいと思ふ。置かれた境遇に己の身をぴたりと添はせ、背伸びや無理をせず、窮屈さや焦りを感ずることもなく自然体で毎日を閑かに暮らし、愚痴や不満を漏らすことなく大言も吐かずにひとり在ることを自ずから愉しみ、後は世間でも運命でも何にでも流されるままに飄々と生きてゆきたいと思ふのである。その境地に達すれば尺八は又とない格好の友であらうが、実際の暮らしがそんな恬淡な理想に程遠いものであることは言ふまでもない。