香りと音色

七月九日(土)晴
つひに梅雨明け。そして見事な暑さ。笑ひたくなるやうな楽しさである。
正午、麻布十番の香雅堂に赴き、小一時間かけて火道具や志野袋、銀葉を包む畳紙などを購ふ。香道教室のSさんに付き合つて貰ひ助言を受けながら決めた。聞香炉の絵付けの注文も出来るさうで、いづれは好みの文様なり絵柄なりの香炉を揃へたいものである。いよいよ志野流の道に本格的に足を踏み入れることになる。
其の後十番の更科で蕎麦を食べた後Sさんと別れ、一如庵に往く。演奏会前の音合せだが、此処で神先生よりテンポが緩すぎるのと曲想を理解してゐないことへのダメ出しを頂戴する。何度か五人で吹いて少しは締まつたが不安を残したまま会場に移動。
後は舞台設営やら着替へやら合間の軽食など挟んで慌しく過ぎる事演奏会の常の如し。ただし、前半はすべての曲を客席で聴くことができた。休憩の後、後半二曲目に演奏。直前の稽古がカンフル剤になつたか、グレン・グールドのやうに流し鈴慕を駆け抜けた感があり、かなり速いテンポだつたのではないかと思ふ。やや緊張して前半で一箇所何処を吹いてゐるのか分からなくなつたり、左手の人差し指がぴんと伸びてゐるのが目に入り、何でこの指が立つてゐるのか不安になるといふやうな事はあつたが、音はかなり出てゐたのではないかと思ふ。連管で吹いた諸兄の足を引張らなかつたことを希ふのみである。
今回何人かの知人が聴きに来てくれた。皆尺八の演奏会は初めてであらうが、初めて尺八音楽に接する人にも各奏者や曲による音色や奏法、楽想の違ひ、或いは個性といふものがよくわかるプログラムではなかつたかと思ふ。渋めの低音、澄んだ伸びやかな音、枯淡の境地、繊細な音遣ひなど、わたし自身も改めて竹の音の奥深さと面白さを感じられ楽しい演奏会であつた。
終演後、ロビーで先週鎌倉でご一緒したKさんSさんが来てくれてゐたのでお礼を言ふ。其れから打ち上げをすぐ隣の店で九時半くらゐから始める。梅雨明けと演奏会終了の二重の開放感と折からの暑さの中ビールが旨い事此の上ない。
其の席で先輩のYさんからは芸談とでもいふべき話を聞き、成程と納得するところ大なり。上手の演奏は人の自然な会話を聞くが如く、下手の其れはコンピユーターの合成音声で「ワレワレハ、ウチユウジンダ」とやるやうなものだと。其処まで酷くはないかも知れぬが、国会で役人の書いた文章を棒読みする大臣の「発話」と、例へば落語の名人の語り口との差くらゐは確かにありさうである。たどたどしくとも、自分のことばを発するやうになりたいものである。
十一時に辞して帰路を急ぐも電車の連絡が悪い上遅れもあつて家に着いたのは一時半であつた。直ちに就寝。夜は思ひの他涼しくて気持ちよく就眠。