かぐはしき音色・にほひ立つ絵画

五月二十八日(土)雨
昨日入梅が宣せられ、今日は正に梅雨らしい鬱陶しい天気の一日となつた。昼過ぎ早稲田に着き、学生たちに混じつて安い定食屋で昼食を済ませてから一時より一如庵にて尺八稽古。七月の演奏会で吹く曲が流し鈴慕と決まり其の練習。コミ吹きの根本が間違つてゐたやうで、此れは必死で練習しないと連管で吹く他の人たちに迷惑が掛りさうである。
其の後地下鉄で根津に出て、雨の中谷中を歩いて東京芸大に至る。大学美術館で「香り かぐわしき名宝」展を観るためである。四月から開かれてゐるのは知つてゐたが、なかなか都合がつかずに結局終了日の前日になつてしまつた。其のせゐかは知らないが、場内かなりの混雑であつた。

〔左: 速水御舟『夜梅』〕
「香りの源」「香りの日本文化」「絵画の香り」の三部構成で、香水瓶を並べただけの凡百の「香水展」よりは遥かに気が利いてゐる。香道具や香合、香炉の類はよく集めたと思ふし花笠香や競馬香、矢数香などの組香のあそび道具は珍しいものも多かつたが、わたしの興味は絵画の香りの方にあつた。すなはち、匂ひたつ絵画を集めるといふキユレーターの力量の方に関心があつたのである。
其の意味で、香炉が描かれてゐたり遊女が聞香をしてゐるやうな浮世絵はどうでもよく、パンフレツトにも使はれた速水御舟の「夜梅」が成程暗香漂ふ秀作に見えたから、香道具を描き込まずに香りを表現した絵画の展示に期待を寄せてゐたのである。
結果から先に言ふと、まあまあといふところか。良いものもあつたが、驚くやうなもの、意外な発見は少なかつたやうに思ふ。池大雅の蘭には涼やかな香り、鏑木清方の女性にはほのかな色香が漂つてはゐた。花を描いて其の香りを意識した画家として田能村竹田や谷口香嶠が挙げられてはゐたが、応挙や江戸琳派の絵画に香りを感じて来たわたしには物足りない思ひがした。御舟の「夜梅」は確かに素晴らしいが、いつその事梅だけに絞つてみても良かつたかも知れない。其れだけでも日本の美術は傑作の宝庫ではないか。
一方で、楊貴妃や楚蓮香といつた、花の香りに包まれたり得も言はれぬ芳香を発してゐたとされる中国の伝説的な美女の絵図といつたものからは、わたしは何故かまるで匂ひを感ずることができなかつた。特に上村松園はわたしの趣味に合はないことが今回よくわかつた。それらよりはむしろ、同時に開催されてゐた芸大コレクシオン春の名品展に出てゐた藤田嗣治の裸婦像の方が、的確な描線のエロスとぼかしの効いた、所謂「フジタの白」が艶かしい女体の匂ひを放つてゐるやうに感ぜられた。さすがは藤田と思はせる、独特な白の色合ひの魔力であらう。お上品な「かぐはしき名宝」も良いが、噎せ返るやうな女体の肌の匂ひを感じさせる美術作品を集める試みもあつていいやうに思ふ。其の場合彫刻や版画、それに写真も大きなウエイトを占めるだらう。ヘルムート・ニュートンやメープルソープ、ベツテイナ・ランスやジャン=ルイ・シーフなどがすぐに思ひ浮かぶ。まさに「匂ひのエロテイシズム」展の開催を期待したいところである。
とは言へ、つまらない香水瓶を見せられるよりはずつといいし、日本の香り文化の幅広い紹介になつてゐたと思ふ。香りを実際に嗅ぐといふ点では、幾つかありがちな香りブースがあるだけで、少々もの足りない気もした。其れに関しては数年前シヤネルが銀座のビルでやつた企画展が今までの中で一番素晴らしかつたが、其処まで行かなくても何か芸大らしいひと工夫は欲しかつたやうな気がする。
ただし、会場では嫌といふ程香りを嗅がされたのも事実である。此の展覧会を観に来るほど香りに興味のある人なら、とても着けては来られないだらうと思はれる、例のクロエの香りである。わたしにとつてはザラついたドブの匂ひにしか思へぬ香りを嗅がされてゐた分、展覧会への評価も辛くなつてしまつた可能性は高い。