夏男、見参。

七月六日(水)晴
夏らしい毎日が続いてゐる。とても梅雨とは思へぬ晴天続きだが、わたしには丁度よい気候のやうだ。体の方は快調だし、精神状態も比較的穏やかな日が続く。暑くて寝付けぬこともない。朝晩など涼しいと思ふし、明け方はランニングシャツで寝てゐると肩が冷える程である。もちろんエアコンは未だつけず、窓全開で寝てゐる。思ふのだが、節電でクーラーの使用を控へることにより、熱帯夜が減るのではないだらうか。勝手な想像かも知れないが、昼間の熱射によつて上昇した温度は、本来夕方以降涼しくなる筈なのを、クーラーの室外機の熱が淀んだまま地表に居残り、其れが熱帯夜の遠因となつてゐたとしたら、案外今年の夜は涼しくなるのではないかと思ふのである。クーラーが普及してゐなかつた昭和四十年代始めの頃までは、夜は今よりずつと涼しかつた記憶があるからである。
会社帰りに此の夏初めて蝉の声を聞く。まるで試運転でエンジンを暖めてゐるかのやうなか細い鳴き方であつた。夕食後ジムに行つた帰りには、勿論同じ蝉ではないだらうが、もう立派に鳴き始めてゐた。夏の準備は整つた。「梅雨明け」の一言を待つばかりである。梅雨明けといふ言葉は、「期末試験終了」よりも更にわくわくとさせる開放感があつて好きである。さう言へば明日はもう七夕である。
会社のあるH市では毎年駅前を中心に、仙台の七夕を模した七夕祭が開かれるが、今年は震災のせゐもあり八・九・十日の三日間の開催に短縮されたやうだ。七夕其の日を避ける処に、抑々この祭が商売目的以外の何ものでもないことが伺はれるが、この町に通ふ身にとつては短縮して貰つて有難い限りである。わたしを含め、多くの者がH市の七夕が大嫌ひなのである。帰りの電車は混むし、朝は昨夜の塵が道に散乱して汚くて臭い。見慣れた街路を幾ら飾り立てても変り映へもしないし、何が楽しくてあんなに人が集まるのだか理解に苦しむのである。それが、今回は金曜と土日だけだから、八日一日我慢すれば済むといふ訳でやれやれといふ感じである。
とは言へ、七夕が終ればそろそろ各地で花火大会が始まり夏本番といふことになる。今年の夏はビールが飲める。ナイターも見に行きたい。すいかも食べたい。春先に病人や老人が後何回桜の花を見られるだらうと思ふやうに、残り少ないわたしの夏を満喫したい気持ちで一杯である。夏が過ぎ秋が終れば、あの苦しい冬がやつて来る。そして冬の不調と花粉症が五月の連休前後まで続くのだ。いまや完全に明らかになつたわたしの季節ごとの体調の変化を思へば、今は一番幸せな時期なのである。