捨てるべきもの

八月二十一日(日)雨時々陰
今日も終日家の片付け。何処の家でもさうだと思ふが、いざ整理し始めてみると、何でこんなものを今まで取つてあつたのか理解に苦しむやうなものが多いことに驚く。未開封の小学生向けの学習ビデオなど其の最たるものであらうが、ロフトには来歴もよく分からない古毛布やシーツの類がごそつと出てきた。大抵は貰ひものを其の儘仕舞ひこんだままにしてあつたもので、シーツだか毛布だかよく分からないものもあつて、中には未使用のものもある。きれいなものはまだ使へるかなと思つてまた仕舞ふと、次に整理をする時まで忘れられたままになつて、今度は古く見えて結局捨てることになる。今回は来客用の寝具を一通り揃へることにして、それ以上のものは全部捨てることにした。
其の他の雑貨の類も其れを買つた当時や使つてゐた時代を思ひ出すと懐かしくもあり、捨て難い気持ちにはなるのだが、今は過去と訣別すべき時機であると自らに言ひ聞かせて捨てることにする。勢ひがついて来るとどんどん捨てられる。見つけ出すまであることすら覚えてゐないやうなものは、捨てたところで惜しくはない筈なのである。ただ、モノの喪失よりも、時間の経過による思ひ出の堆積と、過去が二度と戻らないことの実感が辛いだけなのである。モノを残しても時間は戻らないと思へば大抵のものは捨てられる。新しいものを何も欲しくなくなつたら別かも知れないが、今はこの先買ひたいものも沢山あり、それを置く場所を確保するためにも捨てなくてはならない。就職以来十三回も引越しをしてゐて、しかも二回の離婚で大方の家具や電気製品がなくなつたにも関はらず、これだけの荷物になるのであるから、大きな家にずつと住み続けてゐるやうな人はどれほどモノが溢れるものか、想像だに恐ろしい。モノは買ふよりも捨てる方が余程面倒で大変なことなのであらう。捨てたくないなら買はないに越したことはないのだが…。