中世武士団ツアー

二月五日(日)晴後陰
六時起床七時前家を出で、八時半上野発の特急にて石岡に九時半着。既に諸先輩の姿在り。七人乗りのミニバンに乗り込み、中世武士団ツアーに出発す。此れは抑々神先生が石井進の『中世武士団』を読んで笠間周辺に中世武士団に纏はる遺蹟の多々あることに興味を持たれ、石岡在住のY部先輩に諮つたところ、予てより常陸國史跡巡りを事としてをられた同先輩が之を企画するに至つたといふ経緯がある。余も早速同書を読み、平安末期の貴族の日記『御堂関白記』や『権記』に見られる古代律令制の崩壊の裏側で起つてゐた地方政治の変容を知る上でも興味深いことから参加を申し出た訳である。
ところが本来の発起人である神先生が直前になつて都合がつかなくなり、結局Y部先輩のガイド、地元茨城出身のI川先輩の運転で、M地先輩、S田先輩、O部君に余とN子が参加して総勢七名となつた。まずは石岡市内の常陸国衙跡に行く。今は小学校なるも片隅に碑が立ち、築山や土塁、堀らしきものに微かに往時を偲ぶ便が残る。
常陸国府跡】
徒歩地続きの総社宮に行き、改めて国衙周辺が四方の田園地帯を見下ろす高台にあることを知る。再び車に戻り、北条にある多気太郎五輪塔を訪ねる。裏堀の存在から、かつての多気氏の居館が在つた辺りと考へられてゐる。
【水守城からの筑波山の眺め】
次にはやはり平氏平維幹の居城だつた水守城を訪れ筑波山を遠望した後昼食をとり、さらに多気氏を始めとした常陸平氏の末裔たちと敵対した、源氏の流れで八田知家の子孫小田氏の城館である小田城址に赴く。中世武士の居城として出発しながら、戦国時代まで城として使はれたといふ遺構が今に残る。調査の結果何重にも巡らされた掘割とともに全容が明らかになりつつあり、三年後を目途に現在再現整備中である。多気城や筑波山が視界に入る平地の城にて、周囲の田園風景とともにかつての情景を遥かに思ひ見るに足る。
【小田城より筑波山を臨む】
続けて筑波郡の郡役場に相当する平沢官衙遺跡を訪ふ。こちらも跡地が整備され校倉造りや土倉の高床式倉庫三棟が再建され古代の姿を想像させるよすがと為る。
【平沢官衙
さらに桜川市にある真壁城跡を見た後旧真壁の市街地を歩く。丁度町を挙げてのひなまつりの人形展示期間中で、この辺り独特の豪華な門と古い蔵や建物の並ぶ街並みを見て歩く。人も多く、酒蔵や薬屋から本屋に転じた旧家など趣きある佇まひ也。さらに車にて筑波山の中腹まで登るも、昼過ぎより曇り始めて視界定かならずして、残念ながら富士もスカイツリーも遠望を得ず。再び山を下り石岡に戻り、国分尼寺跡を見た後くる味なる店に往き、五時半より宴席となる。竹友会OBにて石岡在住のU山氏も合流し、鮟鱇鍋を食し地酒を飲んで歓談。諸先輩の回顧談や尺八談義を拝聴して楽しい時を過ごす。八時過ぎ駅まで送られ、茨城在住の三かたに見送られて特急にて帰途に就く。柏にてM地、S田の両先輩は下車され、上野から京浜東北にてO部君とは秋葉原にて袂を分かち、帰宅十時半。此の日三鷹より電話あり面白からざる事あれど身内の話なれば仔細は記さず。