続報

三月十三日(火)晴
昨日より花粉防止用のゴーグルを着け薬も飲み始む。昨日は帰宅後尺八練習日課の如し。大和樂、松風二回、無住心曲、普大寺虚空、通り・門付け・鉢返し、調べ・下り葉を吹く。
昨夜メールを開くにO君より来信あり。如道会設立年に関する余のブログを読み、情報を寄せ呉れるもの也。それによれば如道会創立は昭和十三年にて間違ひなしとのこと也。ひとつには昭和十三年発行の『三曲』といふ雑誌に如道会設立の報が載せられてゐること。さらに如道会設立趣意書が如道叢書とは別に残つてをり、其処でも日付が昭和十三年七月になつてゐることを挙げられた。その趣意書の印刷が昭和十五年であることから、戦後に書かれた如道叢書の記憶違ひといふ推測は否定され、しかも如道会叢書を書いた時点でこの文書を参考にしたとすれば、発起人の肩書が昭和十三年よりは昭和十五年時のものと大筋において合致することも納得できる。つまり、如道叢書が書かれた際に昭和十五年に印刷された設立趣意書から引いた為に、十五年当時の肩書があたかも十三年の際のものであるやうに見えてしまつたといふことである。雑誌が昭和十三年発行である以上、少なくとも昭和十四年説は成り立ちやうがない。どうやら余の「深読みのしすぎ」であつたやうである。
さうなると、例の「十年の修行」なる文言から考へると、日比谷音楽堂での演奏は昭和四年の十一月末か十二月に始まつたと推測する方が妥当といふことにもなる。確かに、現在ではさういふ特例的な許可を得るのに相当な時間が掛るだらうが、当時は実力者や権力者の一声があれば強権的に事が運んだものかも知れない。疲弊した人々に尺八の音色を届けて救ひの手立てとしたいといふ如道師の熱意が当時の司法大臣や警察幹部に伝はつて、迅速に事が決せられたといふ事でもあらう。もしさうだとしたら、時代の雰囲気を感じると倶に、至誠といふものが如何に人を動かすかといふ例として、如道会員にとつては感慨なしとしない。