碌な者ではない

八月六日(月)陰後雨後晴
戦後の進駐軍と政府や皇室とのやりとりについての詳細が、ここ二十年くらゐの間にだいぶ明らかになつて來てゐるやうだ。そして、戦後七十年近くなつて、当時誰が毅然としてゐたか、誰が狡賢く立ち廻つてゐたかも自ずと明らかになりつつある。中でも世上の人気や評判に反して、白洲次郎が碌でもない奴であつたのはほぼ間違ひない事のやうだ。かく言ふ余も騙されて格好いいと思つてゐたこともあつただけに、憎さ百倍である。近衞グループと吉田茂グループは、一面で手を結びながら、かなり複雑な関係であつたやうである。たらればになつてしまふが、近衞文隆が復員して政界に打つて出れば、日米関係はもちろん、この國は今より遥かに良くなつてゐただらうと思はれる。白洲などの出る幕ではなかつたのである。出自も低く、結果として何を成し遂げた訳でもない白洲のやうな男が、近衞文隆に対して抱くコムプレツクスは相当なものであつたらう。その事を念頭に置けば、白洲の戦後の言動の裏にあるルサンチマンが分かるし、さうなると到底賞賛などには価しない人間であることも理解できるのである。