連休前半

四月二十九日(月)晴
此の連休の讀書には二つの柱がある。ひとつは宋代で、徽宗帝や水滸傳、開封といつたものが興味の中心である。『五代と宋の興亡』や宮崎市定の『水滸傳−虚構のなかの史実』を讀み終り、今は横山光輝の漫画『水滸傳』を讀み進めてゐる。此れは遥か昔小學生の頃友達に借りて讀んだ事があり、今囘平岡正明師の度重なる水滸傳への言及からの影響もあり、また米芾や黄庭堅といつた宋代文人に對する憧れが嵩じて徽宗に興味を持ち、水滸傳が其の時代を背景としてゐた事に今更ながら気づいて是非とも讀み返したくなつたのである。現實の中國といふ國には嫌悪感はあるものの、あの國の歴史や文化には畏敬の念を覚えずにはゐられない。余には特に宋の時代への関心が強い。
もうひとつは言語の起源と意識との関連に関する本で、今『ピダハン』を讀み進めてゐる。半分程讀み終へ本としては面白いが、まだ知りたいことの本丸には切り込んでゐない。これが済んだらデイビッド・ハリソンの『滅びゆく言語を話す最後の人々』に進む予定。
さて、二十七日土曜は午前中讀書の後京浜東北線車中もじつくりと本を讀んで王子に到り、北トピアさくらホールにて琴古流協會の演奏會を聞く。同じ琴古流でも様々な吹き方、音色があるものだと思ふ。如道會は流し鈴慕。曲想の広がりが所謂琴古流本曲とは段違ひなので改めて面白く聞く。二時少し前から五時頃まで聞いて歸途に就く。
翌二十八日は書道、入浴の後車で出て洗車をした後家人が出掛けてゐる木更津に赴くも、アクアラインへの首都高が予想以上の渋滞にて三時間半近くかかつて木更津に着く。昨日より家人は當地にて着物着付け教室を開くS先生のところに泊まりに來てゐたのである。近くの寿司屋でご馳走になつた後三時過ぎ発つも矢張り渋滞にて本郷台驛に着いたのは午後五時半前。三渓園での茶會帰りの岳母を乘せ自宅に戻る。嶺庵にて箱点前卯の花の稽古を為す。此の連休後半に客を迎へる際に余が此の点前にて持成す積りなれば也。夕飯の後岳母を町田まで送り届け、歸宅は十一時過ぎ。疲れもあり直ちに就寝。