胸騒ぎのする読書

十月七日(月)陰後晴、蒸し暑し
『意身伝心』読了。久しぶりに読みながらずっと胸騒ぎを抑えられなかった。これが始まると目が泳ぎ、字面を追ってはいても読めていないこともしばしば。それでもこの上なく楽しく、刺激的で、よく分からないところもたくさんあるのに、分かり過ぎて気が動転することもあり、ひとことに触発されて空想や妄想や思慕や追憶をし始めることもあって、とても贅沢な読書となった。唸る処、驚く処、笑う処…あらゆるオノマトペや感嘆詞が動員された。うーむ、ははあ、ふーん、ふむふむ、へー、ほお、ぐぅー、おお、ああ、んー、ふふふ。
舞踏のことはわからない。わからないけど、わずか数度見ただけの泯さんの姿が目に焼き付いて離れず、そこから透かしてわかろうとしてみる。カラダというコト、生命というモノ…散りばめられたヒントをもとに自分なりに理解しようとする読書、こんな姿勢さえ久しぶりの体験のように思える。
昔は当たり前のように感じたり考えたりしていたのに、いつの間にか忘れてしまったことどもが、瞬間ごとに蘇ってくる読書。どれが本当かはわからないが、今とは異なるその頃の自分への懐かしさとそうした自分にあった本物の自分らしさ。今がニセものという訳ではないし、忘れただけで失くした訳ではないものを、これから再び取り戻そうと思わせるだけの、二人の話から受ける親しみとインパクト。ああ、これじゃまるっきり後から自分で読んでも何が言いたいのかわからない中学生の日記だな。でもこの胸騒ぎの理由と、胸騒ぎが引き起こしたこの奇妙な躁状態について、この先ずっと考えていきたいと思う。ぱらぱらと捲り返すだけで、胸騒ぎがする書物。そういう本に出会えたんだな。