シャネルの映画

二月七日(火)陰
ガブリエル・シャネルについて調べる必要があり、『ココ・アヴァン・シャネル』というシャネルの評伝を読んだ。大変興味深く面白い内容だったが、同書を原作と称する同名の映画が2009年に公開されていたことを知り、DVDで見てみた。ところがこれがとんでもない駄作で、せっかく「アメリ」のオドレイ・トトゥを主演に据えながら、ココの魅力も才気も描き切れていないばかりか、原作の伝えるシャネルのイメージを無視して作り上げた彼女のキャラクターは支離滅裂だし、いくつか事実の曲解すらある。あんなにシャネルが男性に対して反抗的というか、つっけんどんである必要はなかっただろうし、最初の裕福な愛人のバルザンがシャネルに求婚するなど噴飯ものである。次の愛人「ボーイ」が、彼女ではなく貴族の娘と結婚してしまったのと対照的に描きたかったのかも知れないが、そうだとしたらバルザンを傲慢にし過ぎである。それに、ボーイとの一件でシャネルが誰とも結婚なんかしないと言い切るのも馬鹿げている。彼女こそ、生涯結婚を望みながら果たせなかった孤独な成功者だったのだから。
いや、百歩譲ってそこまでは映画における人物造形だから許すとしよう。しかし、ボーイの交通事故死の後、何の展開もなく、いきなり成功したデザイナーとしてのシャネルがファッション・ショーを行う場面で終わるというのは、啞然とするより他はない。DVDのパッケージのコピーに「シャネルの成功の秘密、解禁」とあるのは、完全な詐欺である。まさか、最も愛した男「ボーイ」の死が彼女を成功に導いたというのではないだろう。こんなクソ映画がフランスで作られていたことに驚くより他はない。しかもシャネル協賛というのだから笑わせる。こんな駄作でも特典映像で監督や美術監督が偉そうに何事か語っているようなのだが、さすがに見る気にもならない。アマゾンで1円で買ったものだからいいようなものの、正直1円の価値もない映画であった。
それにしても、オドレイ・トトゥの劣化も気になった。アメリの時の可愛らしさは消え、その分大人の女の美しさになったかというとそうでもない。フランスを代表する美女に授けられる「マリアンヌ」の次世代に彼女が選ばれるのではないかと思っていただけに、残念である。ちなみに現在はソフィー・マルソーで、彼女こそ若いときより中年になって美しく魅力が増した人で、フランス女性の代表にふさわしい。ちなみに、過去にブリジット・バルドーカトリーヌ・ドヌーヴがマリアンヌになっている。レベルの高さが知れるだろう。マルソーを除くと、最近のフランス女性はイザベル・アジャーニのように中年以降の劣化が激しくなっているのだろうか。ドヌーヴの中年以降の夢のような気品と美しさは例外なのかも知れないが。