お初香

一月九日(月)晴
八時起床、朝食入浴着替への後十時過ぎ出発。昨日と同じ経路で原宿に出で、徒歩妙喜庵に到る。硯に墨を磨るなど下準備をしてから軽く食事をとり、十二時香道の教室に通ふ生徒は集合して挨拶を為し、手順や予定の確認。此の日は香席が三席、立礼の聞香がやはり三席、さらに小間の茶室で茶席が六席程で、余は三時からの香席で執筆を務める他は一時半の茶席、二時の立礼席では客となる。香道の社中はもちろん面識があり、茶席は岳母の社中なのでよく知つてをり、岳母と義妹は身内だから実に気楽な会である。十二時半過ぎ袴を穿き待機。やがて茶席の時間となりにじり口より四畳半の小間に入る。何と余は正客である。床には狩野派の龍の掛軸と可愛らしい白椿の蕾の茶花、そして出された菓子は龍の玉といふ若柳製のもので、色鮮やかに龍が群れ舞ふやうな意匠の上に小さな玉が載る。味も極めて美味にて、正客なればすぐに薄茶も点てられ、口に含むに甘味と渋みが見事に調和し至福を覚ゆる程也。
続いて立礼席では歌会始めのお題「岸」に因んで「こしかたを常世にまでと神かけてみゆる岸辺の朱の叢雲」なる哥の各句に合せた香木を五種聞く。四つは伽羅にて名のある銘香を含み、ひとつは古佐曾羅で、こちらは流石に今まで聞いたことのない柔らかみのある香であつた。此の席では香を当てる代りに香を聞いて歌を一首詠むといふ趣向なれば余も「常世へと之くみちのくの岸に立ついささいはひを松のひともと」なる駄首を捻り出す。
三時より香席、点前はN子、客は十名、介添は先生が付いたので尚安心である。常盤木香とて昭和天皇御作の「降り積る深雪に耐へて色変えぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ」なる実につまらない歌を元にするものなるも、句に因んだ各香はかなり意を尽くした五種の香木にて、松ぞ雄々しきの香は如何にもその雰囲気がある他、皆実に幽玄なる味はひ有る香ばかりであつた。後で聞くに先生はお初香に於いては惜しげもなく伽羅の名木を焚くといふ。実に贅沢な時間である。さて肝心の執筆の方はといふと、最初に筆を入れる「常盤木香記」のところで思つたより墨が降りてゐずに水気が多くて滲み、一番大事な題のところは余り良く出来なかつたが、後はまあまあか。練習の時よりは遙かに見劣りはするが何とか定式通りに収まり、末尾に執筆冽仙と入れて終了。上手く書けなかつた事で今後さらに書に精進する決意を固くす。
四時からは何もなくなり手持無沙汰にて一度は地階の控室兼懇親会場に行くもすることなく、再び香席横の支度部屋に戻り社中の人と小声で雑談などするうち香が満ちて重硯が戻つて来たので、硯と筆の後始末をする。其の後一旦茶室に戻り、茶席に間に合はなかつた人に一服点てるのに相伴して薄茶を二服戴く。ほつとしたせゐか実に旨い。さらに妙喜庵の扁額の前でN子と一緒に着物での写真を義妹に撮つてもらふ。それから、茶道具の後片付けをして直ぐに帰る岳母の社中に挨拶をしてから地階に降りるとすでに弦楽四重奏の演奏が始まつてをり、最初立ち見で途中から座つて一時間余の演奏を聞く。昨年のお初香に続いて二年連続で呼んだといふ女性カルテツトである。演目はビバルデイから歌謡曲まで。演奏が終り、先生の音頭で乾杯。酒は春鹿でこれまた美酒である。ケータリングの料理も美味しく、参会の方々との歓談を楽しむ。二十畳ばかりのホールに四十名程が集まる。その部屋の壁面には書棚があり、見るに哲学、宗教、文学、美術と実に幅広くしかも相当なインテリジエンスを感じさせる蔵書にて、聞けば先生の御母堂の書物だといふ。此の香会を元主催せし方にて今は老齢にて病院に在るとのことで、出来れば一度お話でも伺ひたいと思はせる、余の興味関心に極めて近い蔵書であつた。宴たけなはなるも明日もあることなれば七時半に辞して帰途に就く。

客の中にひとり、表千家の茶道の先生てふ中年の女性の着たる黒地に淡い桃色で桜花を線描した着物が実に美しく、着物姿の多き今日の女性陣の中でも群を抜く趣味の良さと思つてゐたところ、帰りの電車の中でN子がその着物の話をし、あんな着物が欲しいといふ。N子にも似合ひさうなれば買つてやりたく思ふも、今は如何はせむ。ただ、奇遇にも目をつけるものが同じなるが面白ければ敢て記す。
九時前帰宅。多少酔ひの廻る中帯をしまひ着物を脱ぎ吊るすなど、とかく和装は手間が掛るものなれど、それもまた楽しいものである。三日続けてお召を着て、帯の締め方袴の穿き方も少しは慣れたやうで、多くの人から「お似合ひですね」「素敵なお召し物ですね」と言はれる楽しさも含め、さらに和服への傾倒が続きさうである。