龍と文人画

一月十七日(火)晴
八時過ぎ新横浜発の新幹線で京都へ往く。奈良線に乗換へて東福寺に至る。徒歩東福寺に入り、方丈奥を左に曲がり堰月橋を渡り龍吟庵に行き着く。京の冬の旅の特別公開で、もとより余は初めての拝観也。現存する最古の禅院方丈にて国宝。方丈を取囲む南西東の三面に枯山水の庭を配し、すべて重森三玲の作。今まで見た三玲の作庭の中では良い方であらう。といふより姿の良い石を使へたといふことかも知れないが、作為が見えすぎて白けるのは他の庭と同様である。襖絵に日本画らしからぬ軽妙で遠近法を使つた水墨画があつたので案内の人に聞くと竹内栖鳳の弟子某の作だといふ。其の時は成程明治以降の作かと思つたが後でその訳を知ることになる。
さて、龍吟庵を出て仏堂の堂本印象の蒼龍図を見てから同じく特別公開されてゐる三門を拝観するか迷つたが、前に妙心寺の三門でがつかりした覚えがありそれ以来山門に登楼するのは止めてゐるので今回も拝観せず。日当たりが良いところは暖かいくらゐの陽気であつた。徒歩バス通りに戻り、バスで三十三間堂前に至り、早めの昼食をとつてから京都国立博物館に入る。「中国近代絵画と日本」といふ特別展を観る為である。呉昌碩や斉白石くらゐは知つてゐても、近代の中国画壇については知らずにゐたので、是非見てみたかつたのである。先の二人は流石に沢山展示があり好みの畫も少なくなかつたが、それ以外にも初めて知る画人に面白いものが多く、二時間があつといふ間に過ぎてしまつた。余が知らないだけで高名なのだらうが、今回陶冷月の「暗香疎影」といふ作品が特に目を引いた。雲の多い月夜に覗く満月の下に咲く満開の梅を描いた大作で、夜の花を描いては松林桂月の「春宵花影図」の桜に匹敵する。梅花の画好きの余ではあるが、月夜に漂ふ梅の香りを感じさせる点で他に類を見ない傑作だと思ふ。其の外にも高剣父や徐悲鴻、蘇仁山、呉石僊といつた画家の存在とその作品を知れたことは大きな収穫であつた。また呉昌碩らの交友関係の中で長尾雨山が如何に大きな存在であつたかを知れたのも嬉しいことであつた。
中に鉄斎を始めとした日本人画家の作品も幾つかあつて、そのうちのひとつを見た時「あれ」と思つた。水墨画なのだが光を意識した、西洋画的な印象があり、どこかで見たやうな気がする。案内板を見てそれが竹内栖鳳だと分かり、今朝見た龍吟庵の襖絵と繋がつた。成程さういふことだつたのか。解説には渡欧した栖鳳がコローの影響を受けたと書かれてゐて、さらに納得した次第。龍吟庵の襖絵も普通の墨絵とは異質だが、余は悪くないと思つた。似た画風の師弟の画をそれと知らずに違ふ場所で同じ日にふたつ見たのだから、奇遇と言へば奇遇であらう。
そんなこともあつて、出口の売店で売られてゐた栖鳳の色紙の複製を一枚買つた。色鮮やかな茄子の絵である。呉昌碩の絵葉書も三葉購ひ、再びバスで京都駅に出で、今日の用向きを済ませてから帰浜。