巴水と中村研究所

九月十五日(日)雨後陰
電車で蒲田に行き、片柳学園「ギャラリー鴻」にて『川瀬巴水−東京の風景』展を観る。八十点以上の展示で無料。巴水の描いた東京の景色を堪能。自動車や自転車、洋服の少女が描かれているのに、江戸の余韻が漂っている。雪の景色がこれほど様になる都市はなかなかない。雪景と深い藍色の夕闇の空が特に私には胸に染みる。今も新刷が売られていることを知り、購入の意向で何にするかを検討しながら見る。飾る壁面の関係で縦長のものに限られるが、それでも迷う。あれもいいが、これもいいという感じである。
それから蒲田駅前図書館に赴く。蒲田勤務時代にはよく行ったところである。『大田区史』と『蒲田撮影所とその附近』という本を出して貰い参照する。結果から言うと、中村研究所に関する新たな情報は殆どなかった。松竹撮影所が中村化学研究所の建物をそのまま利用して事務所に使っていたことがわかり、同様に高砂も中村水産研究所の建物を使っていた可能性は高いが、その辺についての記述は見つけることができなかった。区史を見ていて気付いたのは、高砂五十年史を始めとして各社の社史を参考文献にしている場合が多いことで、存続している会社なら社史もあるだろうが、消えてなくなった会社や組織については、郷土史家と呼ばれるような人でも、よほど詳しく関係者に話を聞く機会を得ない限り、なかなか実情はつかみにくいもののようだ。それで思い出したのだが、私は中村精七郎が創設した山九という会社にホームページを通じて、同社が発行した『中村精七郎傳』の中に中村研究所についての記載がないか問い合わせ、あればコピーして送って欲しいとメールしたのである。ところが、返ってきたのは、非売品のその本を置いてある図書館を検索する手段について知らせるのみで、そんな検索ページは百も承知だし、そもそも非売品で手に入れにくいから頼んでいるのに、実に不親切極まりない対応である。別に山九に恨みはないが、かつて石鹸関係の問い合わせを幾つか既存の会社にした際、丁寧な返事を貰ったことがあることを思い合わせると、広報やCSRの姿勢として、実に不愉快な印象を一人の一般人に与えたことは確かである。ちなみに、中村精七郎傳を置いてある図書館で一番近いのは国会図書館であった。中村精七郎に興味はあるが、私は山九という会社は嫌いになった。
昼過ぎ図書館を出て、昼食の後早稲田に行き二時から一如庵にて如道会例会に参加。台風が近づいているせいか参加者が普段より少なかった。私は瀧落を吹く。五時前散会となり、天気も心配なれば急ぎ帰宅する。