紅葉に至るまで

一月十六日(木)晴
中学・高校の頃、本を読むとはすなわち小説を読むことであった。岩波文庫新潮文庫旺文社文庫あたりに親しんだ。高校に入ると神田通いを覚え、古本の味を知って読書の幅は広がったが、いぜんとして中心は「文学」であった。だから大学に進む際に「文学部」を選んだのは当然の成り行きであった。しかし、大学に入って文学を勉強し始めるとともに、読書の中で小説の占める割合は減り始め、皮肉なことに小説自体への興味も失って行く。就職してからも、時に特定の作家を集中して読むことはあったが、割合から言えば僅かなものになっていた。ここ数年は特にその傾向が強まり、年に十冊も読んでいないのではないか。読むとしても明治・大正期の日本の作家が殆どで、現代作家のものなど、最後はいつ読んだのか思い出せない程である。
ところが、昨年末からそれが少し変化しつつある。きもの関連で久しぶりに小説を幾つか読み始めたところ、案外楽しめたからである。明治・大正への興味が高まっていたこともあり、幸田文舟橋聖一宇野浩二と読み進み、思いのほか面白く読んだ。しかも、やはり文章が上手いので、何だか嬉しくなってくるのである。少し前から浄瑠璃の語りや落語、さらに浪曲のタンカに親しんでいたこともあり、立て板に水の語り口を好むようになったのであろう。それもあり、数年前に文庫で出ている作品をあらかた読んで好きな作家の一人になっていた尾崎紅葉を、今度は全集で読んでみる気になった。言うまでもなく、紅葉のきものの描写に興味があったのである。
読み始めてみるときものの描写は確かに細かくて興味深いが、それ以上に小説の面白さに引き込まれてしまった。文章の流麗さと会話の妙味にすっかり嵌ってしまったのである。今のところ古本で全集の四巻と五巻を買って読んでいるのだが、日本の古本屋で全十三巻が一万円で売りに出ているのを見つけてしまい、買おうかどうか迷っている。全巻通読するとも思えないし場所も取るのだが、紅葉の小説以外のものも読んでみたくなり、そうなると全集を買うしか手はないのである。