山水癖

一月三十日(木)陰後雨後陰
大室幹雄志賀重昂『日本風景論』精讀』讀了。日清戦争前後の日本の文学の状況を理解するのにこれ程の好著はないと、讀む前に此の本の題名から誰が想像し得やうか。山水癖とも呼ばれる、江戸期から續く漢詩文における風景や風雅を愛でる文人趣味が、同時代的なものとして最後の光芒を見せたのが、明治二十七年に出た、他ならぬ『日本風景論』だったのである。もちろん、精讀の手並みはそれだけに止まらない。内村鑑三志賀重昂の比較検討も面白いし、西洋では宇宙誌から地理学が生成したといふ指摘や、ナシヨナリズムとは「国家の弱さの自覚に誘発された昂奮である」という喝破など、目から鱗の落ちることばかり。何と言っても、明治二十七年当時、天保老人と呼ばれる幕末を生き抜いた者たちの中に現役の漢詩人は多く居て、漱石も藤村もまだ出ず、言文一致も確立に至らなかつた中で、漢詩は多くの日本人にとって「現代文学」だつたといふ指摘にはハタと膝を打つた。大室先生の教養と慧眼や恐るべきものがある。大変畏れ多いことながら、こと『日本風景論』に限つて言へば、千夜千冊の讀みは大室先生に比べると遥かに浅いと言はねばならぬ。