美術学校

 パリにあるÉcole Nationale Supérieure des Beaux-Arts、すなわち国立高等美術学校、日本の芸大のようなものである。美術を学ぶのであればその場所も美しくあらねばならないという、至極まっとうな理念のもと建てられたと思われる実に立派な建物である。ただし、研究室や学生の創作する部屋などは予算不足なのか荒れている。東京芸大は外観はさほど美しいものではないが、現代的な建物の中に各学生に小奇麗な創作の部屋が与えられており、どちらがいいのか中々判断の難しいところであろう。そのパリの美大生を連れて芸大を見学した際にフランス人学生のもらした溜息の意味が、その後にパリの美術学校を初めて訪ねた時に少し分かったような気がしたものである。

美学校

 

カラー写真シリーズ

 「昭和の残像」を見に来てくれる人が多い(このブログは2~3人の固定客しかいない)のに気をよくして、ここでも写真を載せていくことにした。ただし、こちらはカラーの、単に自分が美しいとか面白いと思うだけの写真である。

 第一回はこの夏に行った平城京の東院庭園である。復元庭園だが、中々の出来でありしかも無料で見学できる。洲浜も美しく建物も古雅を感じさせてくれる。奈良に行ったら是非訪ねてみることをお勧めする。

東院庭園

 

捨てるための読書

 蔵書の整理をはじめた。昨年に引きつづき、本を大量に処分(売却ないし廃棄)するのである。今回は車に積める量を超えたので、出張引き取りに来て貰うことにした。電話で問い合わせること四件目でやっと来て貰う古書肆が決まった。最初の三件は対応が覚束なく、言わずもがなのことを言われて不快になるなどして頼む気になれなかったのだが、やっとまともな応対を得て頼むことにしたのである。最初から疑うような口調で対応されたり、質問に不確かな答えしか出てこないところに頼む気になれないのは当然だろう。

 今回処分するのは小ぶりな本棚3つ分くらいだが、文庫本や新書も含まれるので冊数はけっこう多い。捨てる分野としては生物学、人類学、映画関係、日本の近代小説、独仏英伊文学のすでに読んだもの。大菩薩峠全巻、カサノヴァ回想録全巻、日本の古代史、風俗史、まだ残っていた性科学、エロティシズム系、エロティックアート。哲学系も一部を除いてかなり捨てる。残りの人生を考え、今後再び読むことも参考にすることもないだろうと思うものは捨てようと思うのだが、それでも未練があって残すものもあり、逆によく今まで取っておいたなと思うようなものもあり、本の処分というのは常に過去が自分に問いかけ、あるいは糾弾してくるような感覚がある。

 まとまったテーマのものとしては小津安二郎関係の本33冊もこの際処分することにした。ただ、これは売るのではなく小津好きな友人に、必要な時には貸して貰えるという条件で譲ることにした。ただ、その際見直していてまだ読んでいない本があるのに気づき、譲る前に読んでしまおうと思って読み始めたら、これがなかなか面白い本で、これは「小津本」ではなく昭和史に属すると再解釈して手もとに置くことにした。「帝国の残影」という本である。

 その後も、処分する前に読んでしまうことにして数冊読んでいるが、読んでしまうと手もとに残したくなる本と、本当に処分していい気になる本が出てくる。後者は考えてみると読まなくてもいいものとも言えるわけで、そうなると空しい気がしてきて「捨てるための読書」は止めることにした。読んで面白いと思ったものはやはりしばらくは手もとに置いておきたくなるものであり、やがて興味が薄れ、また読むことはないなと思えて初めて手放す気にもなるものだろう。逆に何十年も読まずに書棚に並んでいたものは、この先も読まないと思って捨てられる。ただし、その場合でも古典や岩波文庫だったりすると一瞬ためらう。一時岩波文庫の絶版本やリクエスト再刊などは見つけると無条件に買っていたが、結局今に至るまで読んでいないものも多い。昔は買っておかないと、いざ読みたいときに古本屋で見つけるのは至難の業という感覚があった。しかし、今はネットで探せるし図書館もネットで予約してすぐ入手できるので、持っていることにさほど価値はないのである。だから処分すればいいのだが、岩波文庫に入っている古典作品をまだ読んでいないということに自責の念があり、今回もある程度残すことになった。読んだ本は手放すことに抵抗はないのに、我ながら不可解な心理である。

ふたつの景色

 車でヨーロッパの国々を廻っている。ベルギーやオランダ辺りだろう。駅に行く用事があって進行方向の道路右側を歩いて行くと途中で歩道がなくなり、横断歩道もないところで道の反対に渡らなくてはならない。ひどいものである。何とか車の途切れるのを待って渡ったが、駅に行くにはどちらにしても車道のアンダーパスを通って川を越えなければならない。諦めてホテルの部屋に戻って地図を見ると駅の名がIDということを知る。昔の名前をやめてローマ字2文字に簡素化したらしい。

 翌朝目覚めるとスマートフォンが鳴っていて、とると私の父と私の息子Kがふたりでファミレスでパフェを食べている画面が映る。幼稚園が休みになったのだという。音声が悪くて何を言っているかわからない。隣で画面を覗き込んだ家内が「かわいい」と言うが、Kが驚いているので私は嫌な顔をして家内を遠ざける。Kは最初の妻との子どもである。電話を切ったあとで謝るが返事もしないので喧嘩になる。

 私は外にある浴場に行くことにする。部屋のバルコニーから斜面を下っていくと水のきれいな川が流れていて、そこにかかる橋の途中に浴場があるのである。ところが橋の途中にジョイント部分のようなところがあり、一畳くらいの丸いスペースなのだが、ぐらぐらしていて落ちそうになる。そのとき川の底を見ると犬がいる。深さ1~2メートルの水深の川底にすっと立ったまま動かないのである。最初は置物かと思ったが、そうではないらしい。泳ぐのでも浮かぶのでもなく、川底でじっとしている。見ればその先に何頭もいるし、中には猫もいる。私はこのことを大声で家内に告げるが信じようとしない。何度も叫んでやっと出てくると。「あら本当」と驚くが、すぐに「危ないから気をつけて」と言う。確かに、猫など今にもこちらに飛び掛かりそうな邪悪な目でこちらを睨んでいる。私はそばに落ちていた木の棒を拾って身構えるが、すぐにいくらなんでもここまでジャンプできないだろうと思い、浴場に入る。扉を開けると中は意外に人が多い。コインロッカーが並んでいるが、私はコインもタオルも持ってきていないことに気づく。すぐ横の大浴槽は日本の温泉のようでいて、ただし人は海水パンツを穿いていてさすが外国だと思う。私も何故か自転車用のパンツを穿いていたのでそのまま入ることにする。微妙なぬるさなのと、まわりは中国人ばかりなので居心地が悪く、すぐに出て、いつの間にか出来た高い壁を何とか乗り越えて部屋に戻る。

 それから帰り支度をして車で高速道路を走っていると、上り坂のカーブで途中で先が見えなくなり、ハンドルを切り損ねて道を外れて高台の上に車が止まった。降りてそとを見ると眼下に海が広がり、対岸に蜃気楼のように巨大都市の高層ビル群が見える。とても美しい景色なので写真を撮ろうとするが、鞄からスマートフォンがなかなか見つからないのである。

ジュルナリスト

 山間の道をずっと奥に進み、あるジャーナリストの家を訪ねる。小太りのそのジャーナリストにわたしは「先生」と呼びかけて、最近彼が書いたルポの感想を述べ、取材のしかたや執筆の姿勢などについて質問している。彼が誠実なジャーナリストであることがわかって、わたしは感激してハグをする。それから駅まで車で送ってもらうことになる。車は自転車の二人乗りのような感じで、人相の悪い人たちがいるパチンコ屋の通路を通り抜けようとする。大丈夫だろうかと危惧していると、案の定一緒に後ろに乗った美男の若者が引きずり降ろされ、「お前は××ではないか」と言われる。よく似ていると言われるが違うと言っているのに、ボスが呼んでいるというので連れて行かれ、おそらくお釜でも掘られたのだろう、上気したまんざらでもない顔をして戻ってくる。それから駅に行き、ちょうど電車が発車しそうだったが無理をせずに見送るが、後になって今の電車の自由席でも座れたのではないかと悔やむ。しばらくして入線して来た次の電車の自由席に乗り込む。一人掛けの良い席に座れたが、通路やシートはゴミだらけである。