捨てるための読書

 蔵書の整理をはじめた。昨年に引きつづき、本を大量に処分(売却ないし廃棄)するのである。今回は車に積める量を超えたので、出張引き取りに来て貰うことにした。電話で問い合わせること四件目でやっと来て貰う古書肆が決まった。最初の三件は対応が覚束なく、言わずもがなのことを言われて不快になるなどして頼む気になれなかったのだが、やっとまともな応対を得て頼むことにしたのである。最初から疑うような口調で対応されたり、質問に不確かな答えしか出てこないところに頼む気になれないのは当然だろう。

 今回処分するのは小ぶりな本棚3つ分くらいだが、文庫本や新書も含まれるので冊数はけっこう多い。捨てる分野としては生物学、人類学、映画関係、日本の近代小説、独仏英伊文学のすでに読んだもの。大菩薩峠全巻、カサノヴァ回想録全巻、日本の古代史、風俗史、まだ残っていた性科学、エロティシズム系、エロティックアート。哲学系も一部を除いてかなり捨てる。残りの人生を考え、今後再び読むことも参考にすることもないだろうと思うものは捨てようと思うのだが、それでも未練があって残すものもあり、逆によく今まで取っておいたなと思うようなものもあり、本の処分というのは常に過去が自分に問いかけ、あるいは糾弾してくるような感覚がある。

 まとまったテーマのものとしては小津安二郎関係の本33冊もこの際処分することにした。ただ、これは売るのではなく小津好きな友人に、必要な時には貸して貰えるという条件で譲ることにした。ただ、その際見直していてまだ読んでいない本があるのに気づき、譲る前に読んでしまおうと思って読み始めたら、これがなかなか面白い本で、これは「小津本」ではなく昭和史に属すると再解釈して手もとに置くことにした。「帝国の残影」という本である。

 その後も、処分する前に読んでしまうことにして数冊読んでいるが、読んでしまうと手もとに残したくなる本と、本当に処分していい気になる本が出てくる。後者は考えてみると読まなくてもいいものとも言えるわけで、そうなると空しい気がしてきて「捨てるための読書」は止めることにした。読んで面白いと思ったものはやはりしばらくは手もとに置いておきたくなるものであり、やがて興味が薄れ、また読むことはないなと思えて初めて手放す気にもなるものだろう。逆に何十年も読まずに書棚に並んでいたものは、この先も読まないと思って捨てられる。ただし、その場合でも古典や岩波文庫だったりすると一瞬ためらう。一時岩波文庫の絶版本やリクエスト再刊などは見つけると無条件に買っていたが、結局今に至るまで読んでいないものも多い。昔は買っておかないと、いざ読みたいときに古本屋で見つけるのは至難の業という感覚があった。しかし、今はネットで探せるし図書館もネットで予約してすぐ入手できるので、持っていることにさほど価値はないのである。だから処分すればいいのだが、岩波文庫に入っている古典作品をまだ読んでいないということに自責の念があり、今回もある程度残すことになった。読んだ本は手放すことに抵抗はないのに、我ながら不可解な心理である。