疲労困憊

 書斎の片づけに結局週末の二日間丸々掛かってしまった。腰は痛み肩は凝ったが、数えてみれば書棚から移して紙袋に詰めた書籍は350冊あまりに過ぎず、配置こそ変わったが、書棚が本で埋まっていることは変わらない。逆にどうしてそれだけの分今まで収まっていたのか不思議である。

 今回書棚から抜いた本はジャンルでいうと映画の監督や俳優に関するもの、談志や志ん朝の書いた落語ものがけっこう多かった気がする。30冊くらいあった通称「オズボーン」すなわち小津安二郎に関する本も含まれる。小津について書かれたものを読むのがこよなく楽しいのだが、おそらく小津について書くことはないと思うから、本人の全日記や蛮友社の「人と仕事」と、まだ読んでいない数冊を除いてしまうことにした。落語についても予想以上に持っていたが、落語については畏友O君が最近の落語家事情や噺の醍醐味について詳しくその個人誌で語ってくれているので、私などが今さら何も言うべきことはないので手もとに置かなくてもいいと思ったのである。進化論系生物学や遺伝学、生命科学生命倫理、性の起源やセクシュアリティといった本もずいぶんあって、多くを移すことにした。2000年前後によく読んでいた分野である。その後自我や認識の起源に興味が移り、そうしたテーマの心理学や生物学、脳科学の本もたくさん読んだようだが、結局何もわからなかったようだ。その時はそれなりに理解したこともあるのだろうが、今では忘れているのだから分からないのと同じである。従ってその辺に関する本も書棚から除いた。それから仏教や佛像に関する本も今は無用なものが多かった。フェミニズム1990年代に盛んに読んだが、これも皆お蔵入り。テリー伊藤根本敬などのサブカル系も、大いに楽しませて貰ったが、今後の執筆には無用であるし、読み返すとも思えないので移送。近いところでは茶の湯関係もうんざりするほど買い込んでいたが、読む間もなく興味を失った。特に財界茶人系の伝記等は皆不要。同様に「きもの」系の本も、すっかり関心をなくして大部分移送に回した。

 書棚に相変わらず本はびっしりだが、本の前に変な飾り物や絵葉書立てなどをたくさん置いていたのを大分処分して、本を取り出しやすくした。机廻りもだいぶすっきりして、ファイルボックスも取り出しやすい配置にした。併せて旧著に使った古い資料のコピーなども大量に廃棄に回したので、紙コピーの量が圧倒的に減ったのも、机周辺を何となく軽い感じにしている。準備は整った。香料、香水、香道、香り、嗅覚、鏡、夢、幽玄、幕末明治の旗本の処遇と運命、明治以降の化学工業、香料産業史…などが当面の興味の中心である。後は読んで、メモして、執筆に取り掛かるだけなのだが、疲れ果てた上にもう十一時になる。寝なくてはならない。高山先生に触発されて書斎環境はどうにか変えたものの、高山先生の本さえ1ページも読めないまま終わる週末であった。