白河の翠楽苑の紅葉。2年前の秋である。旅行に行けることがこんなにも嬉しいものかと思えた、コロナ禍の中の秋である。
1911年に甲斐荘楠香が下宿から研修先であるスラン社まで通ったと思われる道筋を2015年に辿ったことがある。建物も含めその頃とほとんど変わっていないだろうと思われる街並みに胸が一杯になった。この路地を通う一歩一歩が、日本の香料産業誕生のための歩みであったのだ。
パリにあるÉcole Nationale Supérieure des Beaux-Arts、すなわち国立高等美術学校、日本の芸大のようなものである。美術を学ぶのであればその場所も美しくあらねばならないという、至極まっとうな理念のもと建てられたと思われる実に立派な建物である。ただし、研究室や学生の創作する部屋などは予算不足なのか荒れている。東京芸大は外観はさほど美しいものではないが、現代的な建物の中に各学生に小奇麗な創作の部屋が与えられており、どちらがいいのか中々判断の難しいところであろう。そのパリの美大生を連れて芸大を見学した際にフランス人学生のもらした溜息の意味が、その後にパリの美術学校を初めて訪ねた時に少し分かったような気がしたものである。