庚寅 神無月朔日 陰
五時半起床、坐禅一炷の後出勤。朝礼とて下期に向けた訓示あり。K部長の説明体を為さず。哂ふべし。定時退社し、買物して帰る。六時半帰宅後尺八練習。虚空を二尺三寸と一尺八寸で吹く。其の後独りで夕餉を食す。日乗始めたりと言へども暮らし向きに特に変りたることもなし。食後読書。Zen at Warを読む。第二章まで終る。之は神仏分離廃仏毀釈関連の読書の中で其の存在を知った本で、ネット上で其の翻訳の酷さが言はれてゐたので原書と翻訳両方を購入。先に届いた原書を読み始めた処昨日翻訳も届いたもの。言ふほど分かりづらい日本語ではないが、確かに此れだけで読むと苛立つかも知れぬ。ネット上で激烈に翻訳や恐らく読まずに推薦文を書いたと思はれる安丸良夫を批判してゐる松浦といふ人がゐて、出版元を光文社だと思ひ込んでゐるやうだが、光文社ではなく光人社である。さて中味についてだが、確かに禅僧の戦争協力といふ問題を我々は余り知らされてゐなかつたのは事実で、二章まで読んだだけでも中々衝撃的である。ただ、鈴木大拙を著者のVictoriaは戦争協力者として糾弾してゐるが、其の引用に作為があるとして逆にVictoriaを批判した武蔵大学の山崎光治氏の論文をネットで読んでゐたので、若干は著者の主張を懐疑的に読むやうにはなつた。其れを差し引いても、釈宗演や南天棒、澤木興道の戦争正当化は目を覆ひたくなるほどである。宗演は漱石大拙の禅の師でもあり余が参禅に通ふ円覚寺の元管長で、今北洪川の法嗣として明治禅界東の雄である。抑々余が維新前後の廃仏毀釈に興味を持つたのは、明治の文人や名士に参禅した者が多く、其の背景や、さうした体験が其の後の思想形成にだう作用したか、そして其れが現在の我々にどのやうな影響を残してゐるのかを探りたいと思つたのが端緒である。そして、明治中期以降の一種の「参禅ブーム」の前提となる維新前後の仏教界の状況を知らうと思つて、前々から興味のあつた神仏習合神仏分離と併せて廃仏毀釈の本を読み始めたのだ。其の中で偶々Victoriaの本を知り、禅と戦争といふ、自分の中では結びつきにくい二つの言葉の併記に何か胸騒ぎのやうなものを感じて取り寄せたといふのが此処に至る経緯なのである。いずれにせよ精読を進めながら色々考へてゆきたいと思ふ。

古書肆より松岡先生の本一冊届く。

夕刻食品を購ひし店にて椿事あり。ひとりの老婆、非常警報の鳴り続く携帯電話を手に困惑しつつあり、かつ余に助けを求む。見れば警報解除の暗号番号が必要にて問ひ正すも、知らずと言ふ。恐らく1234ならむと思ひて試みるに果たして然れば警報止む。老婆厚く礼を陳ぶ。