此処数日

七月十四日(土)晴時々陰 午後嶺庵に若き友人二人を招き、茶香竹でもてなす。急に暑くなりたる一日なるも、余は絽の着物にて過す。六時半より飲食を倶にし、十一時半散会す。若い人の食べつぷりの良さは見てゐて気持ちの良いもの也。初めて夏に嶺庵茶話会を催したるところ、風炉も香炉も熱を持つ故狭き庵内は暑く、來年以降はクーラー設置も考慮すべきか。
七月十五日(日)晴 朝七時前車にてN子と二人で出発し、一路茨城の友部に向ふ。九時半過ぎ集合の後笠間の鍛冶倉山荘に移動し、如道会夏の例会が始まる。新築成つた山荘にて初めての例会なり。正午より演奏。余は松風を吹く。四時よりワスガゼンに会場を移し、バーベキュー含むご馳走にて懇親会。六時半辞して九時過ぎ帰宅。睡気甚しく十時就寝。
七月十六日(月)晴 八時起床。十時過ぎ車にてN子の実家に往き、茶の湯の稽古。葉蓋の点前と箱ものをやる。夕刻持参せし尺八の練習を為し、夕食後帰宅。夜、『昭和天皇独白録』読了。嘗て此の記録が文藝春秋に掲載された事を電車の中吊り広告で見た覚えはあるが、当時は其の意義や意味、史料的な位置づけも分からず、読まうとも思はなかつたのである。護貞座談に始まり細川日記等も読んだ今では、事の反対側の事情を知る側面もあり、面白く読んだ。それにしても、付録の座談会の児島襄や伊藤隆の発言の無定見さに驚く。秦郁彦の方が余程まともである。半藤一利は前から好きではないと言ふか、トンチンカンなところがあるのではないかと思つてゐる。引き続き、吉田裕の『昭和天皇終戦史』を読み始む。かつて此の本をネタに畏友H本氏が愛国美談の講談をやつたことがあるが、約二十年遅れて余も此の本に辿り着き、前後や左右の状況をある程度理解するやうになつた訳である。