県民性

    鹿児島県出身者の集まりで香りについて講演をした。わたしは佐幕派なので完全アウェーである。とは言っても、江戸に幕臣の子孫などほとんどいないように、鹿児島出身だからといって薩摩藩の志士の末裔ばかりが集まっていることはないから、しごく和やかな雰囲気の会であった。鹿児島と言えば、だからまだ抵抗は少ないが、それが薩摩となるととたんに肩が怒る。慶応四年の東征軍にしても、薩摩藩士は方々で乱暴を働いて街道の人々を呆れさせた一方で、長州の理路整然と礼儀正しく接する態度に感服して朝廷側に帰順した藩も多かったと聞く。ところがその長州は徳川家糾弾の最先鋒で、逆に薩摩は寛大な処置を支持していたというのだから話はややこしい。憎き薩長だが、わたしが忌み嫌うのは長州である。何とも陰湿で傲慢な人々という印象しかない。薩摩の方は、例の芋蔓式の同郷人同士のつながり、相互扶助の絆の強さが有名で、この前読んだ赤星鉄馬の評伝でも、明治に財を成した薩州人のほとんどが、薩摩出身の軍人や政府高官に取り入った結果であることを知ったばかりである。講演後の懇親会で話を聞く限り、そうした紐帯の強さは今も健在なようで、わたしなどには想像のつかない世界である。東京生まれといっても、「都人会」など聞いたこともないし、同郷という意識を持ったこともほとんどない。他の県人会などをよく知っているわけではないが、わたしの知る範囲では、鹿児島と広島は結構連帯が強いのではないかという感じがある。いずれの県人たちにも、特別わたしは悪い印象を持たない。というより、悪い印象があるのは長州と京都だけである。