晴天と琳派

六月三日(金)陰時々晴
朝五時に目が覚め、天が晴れてゐるので起き出し、窓を開けて風通しをするとともにそのまま掃除をする。嶺庵の畳を箒で掃き、リビングは掃除機を使ひ階段や廊下はモツプ掛けをした。雨で寒い日が続いた後だけに、天気がいいと寝てゐるのが勿体無いのである。歳をとつたせゐもあらうが、自分が所謂「天気屋」であることを自覚して、気分のいい時に何でも済ませてしまはうといふ気持ちが強くなつてゐる。シヤワーを浴び着替へてから家を出て、駅前のマクドナルドで朝食をとつてから出勤。
ルドン展を観て以来、ジヤポニスムに関心を持ち始めて何冊か本を読んだ。特に由水常雄の『ジャポニスムからアールヌーボーへ』(中公文庫)にはいろいろ教へられることが多かつた。浮世絵が後期印象派に与へた影響はよく知られてゐるが、アールヌーボーに結実する芸術上の変貌の背景に日本の絵画や陶磁器、工芸品の影響があつたこと、そしてその影響が特に万国博覧会といふ場を通じて広まつたことなどがよくわかつた。浮世絵だけが持て囃されたわけではなく、日本の伝統的な意匠や文様、装飾性、花鳥風月に代表される自然のモチーフや大胆なデフオルメといつた、すなはち美の「センス」そのものが当時の西洋人には衝撃的だつたのである。
同書の巻末には付録として1900年パリ万博に日本から出展された美術品のリストが掲載されてゐて、これを見ると面白いといふか、実に優れた作品を広く集めてゐることに驚かされる。周文、雪舟らの山水画から元信、探幽らの狩野派、土佐派の他、光琳も幾つか入つてゐるし、円山応挙酒井抱一がわりにたくさん含まれてゐる。さらに光悦や乾山の陶器や工芸品もあつて、万博の展示品を見ただけでも琳派の美意識は十分に伝はつた筈である。ルドンへの琳派の影響といふわたしが得た印象もあながち的外れではないやうである。ルドンがこの万博に足を運んだかどうかまではまだ調べてゐないが、わたしが「琳派!」と直感した城館の壁面を飾る装飾画の作成が1903年であつたことを考へると可能性は高いと思はれる。