大須と徳川

八月十三日(土)晴
十時過ぎホテルを出で、歩いて大須観音に到る。参拝の後商店街を歩いてゐると、大須演芸場の出し物のビラを配つてゐて、思はず手に取ると今日は正午から寄席で怪談噺があるといふ。急に聞きたくなつて時間までアーケードの商店街を見て廻り、古本屋など見てからすぐ近くの大須演芸場に足を運ぶ。友人が三重に在勤中よく訪れてゐた事を、彼の発行する「マンスリー・タカミツ」といふ個人誌で知つてゐたから、見てみたいとは思つてゐたが、丁度寄席に行きあふとは奇遇である。二千円を払つて何とも懐かしいやうな小汚さのある客席に座る。




大須観音大須演芸場

演目は前座の落語から売れない演歌歌手の歌謡シヨーやら手品、曲芸、綾小路きみまろそつくりの「まねまろ」の漫談などあつて、トリは露の団四郎による「雨夜の傘」。知らない噺家だが上方落語の人で、さすがに聞かせる。偶々入つた寄席としては大いに楽しむことが出来た。
大須演芸場を出て、遅い昼食の蕎麦を食してから地下鉄で市役所前に往き、其処からタクシーで徳川園に至る。余りに暑いのでまず徳川美術館に入る。国宝の蒔絵の箱類、所謂「初音の調度」をはじめとして茶道具、香道具にも見事なものが多く、素晴らしく豪勢で精妙な品々に嘆息を漏らしつつ眺めて歩く。
展示室をつなぐ廊下を歩いてゐるとN子が嘆声を上げた。見ると、何とも優美な百人一首のかるたが並べられ、展示販売されてゐる。此れは尾形光琳が京都九条家の為に手がけた自筆のかるたの複製品で、昭和四十八年に公開されて以来世に出ることのない幻の作品とも言へるものだ。勿論わたしも初めて見るものだが、十八世紀初頭に描かれたとは思へぬ彩色の美しさが忠実に複製化されてゐる。思はず二人で欲しくなつたのだが、其の価格が二十七万三千円であり、思案の末購入は断念するも気が変つた時のために申込書とパンフレツトを貰ふ。季節の絵柄や歌の入つたそれぞれの札は、床の置き物にしても十分に通用する優美さである。桐の特製化粧箱に入つて、文字通り手作りで一枚一枚仕上げられたかるたであり、其の値段の価値は十分にあるとは思ふものの、やはり高い。残念だが現時点ではとても買へさうにない。
其の売店の人とあれこれ話し込んでゐたこともあり思ひの他時間が過ぎて、ミユージアムシヨツプで買物の後、五時を過ぎても一向に涼しくならない中、蚊に喰はれながら徳川園をとにかく一周する。やはり真夏といふのは庭を見るには最も適さない時季なのであらう。
再びタクシーにてホテルに戻り荷物を受け取つて其の儘名古屋駅へ。高島屋地階の「しら河」でうなぎまぶし弁当を購ひ、八時前の新幹線に乗る。品川まで乗るN子と新横浜で別れ帰宅。楽しい旅であつた。