男の遍歴

十一月十七日(木)陰
わたしが少年の頃、鉄道フアンに女性など皆無であつたし、鉄道員に女性もゐなかつた。それが最近は鉄道好きの女性、女性車掌や運転士さへ見掛けるやうになつた。隔世の感がある。わたしは鉄道が好きで、小学生で京王鉄道友の会に入つてゐたし、中学ではガリ版刷りの『鉄路』といふ雑誌を発行してゐた。高校に入る前には熱は冷めてしまつたが、今でも電車や時刻表が好きである。
鉄道マニアといふのは、セクシユアリテイ抜きのオタクの元祖のやうな存在で、パソコンや無線、ラジオといつたメカ好きに通ずるところもあるが、写真やカメラに対する意識が高いのも特徴のひとつであらう。鉄道写真といふのはひとつのジヤンルでもあるが、とにかく鉄道マニアはSLや電車の写真を撮りたくて、鉄道に対する熱意と同程度をカメラにも注ぐのである。
昔はコンパクトカメラの性能が良くなかつたこともあつて、鉄道マニアは一眼レフを使ふことが多かつた。当時の一眼レフは自動焦点などもちろんなく、自動露光がまだ目新しく、シヤツタ―スピードも自分で設定しなければならないものばかりであつた。露出と被写界深度の関係を頭に入れ、ピントと絞りを自分でやりながらシヤツタースピードを選び、シヤツターを切るのであるから今と比べると随分煩雑である。
カメラの遍歴といふのは、男性にとつてどんな車に乗つて来たかといふことと並んで、ライフヒストリーを語る上で欠くことのできない要素ではないかとわたしは思ふ。歳を重ねて今では手軽なコンパクトカメラや、オートマチツクで運転の楽な車を選ぶなるやうになるのはいい。ただ、少なくとも若い頃にどんなカメラを持ちどの車に乗つて来たかといふことは、今の四十代から六十代にかけての日本人男性にとつて、その人がどんな生き方をしどういつた価値観を持つて来たのかを語る上で重要な要素なのではないかと思ふ。
ここ二十年くらゐはオートフオーカスやデジタルカメラが普及した為、若い女性も一眼レフを手にすることが多くなつたが、四十年前の話となると、カメラは操作の難しい「メカ」であり、高価なこともあつて女性で写真を撮る人は限られてゐた。その為当時は写真を撮るのは父親の役目であり、高くて難しさうなカメラを操るお父さんが格好よく見えるといふ幸せな時代だつたのである。
電車や機関車の写真を撮るために、わたしも一眼レフが欲しくてたまらなかつた。お年玉を貯めたのだらう、中学に入つて間もなくわたしは一眼レフを購入する。忘れもしない、ペンタツクスのSPIIといふモデルである。今のカメラより重厚感や存在感があり、わたしにとつては一番カメラらしいカメラである。追つて望遠レンズも購入し、中学二年の夏休みにはそれらを抱へて蒸気機関車を撮りに北海道に渡つた。
高校に入るとカメラに対する興味も失ひ、スナツプ写真を撮り合ふ仲間や機会のないまま大学に行き、ヨーロツパに初めて行く際にはコンパクトカメラを買つたと思ふがどんな機種だつたのかも覚えてゐない。それが変つたのが就職してパリに住んでゐた頃で、芸術としての写真を見る機会が増えたこともあり、自分なりにパリの街を撮りたくなつてニコンのAFの中級モデルを買ひ、レンズも幾つか買つたのだが、それも帰国と同時にあまり使ふこともなくなつた。其の後キヤノンのAPS時代のIXYを持ち、アメリカでまだ分厚く不格好なオリンパスデジタルカメラを買ふが、それらもいつの間にか無くなり、今はIXYのデジタルカメラを使つてゐる。
だから言ふほど一眼レフの世界に入り込んだ訳ではないのだが、中学くらゐの、お金はないが時間のある時代といふのは、買へなくても高級機種に対する憧れが強くてカタログや写真雑誌などをとにかく何度も何度も眺めて飽きないものだから、カメラのことを考へてゐた時間はそれなりに長いのである。つまり、本当は何を持つてゐたかではなくて、どれだけ買へない上位モデルに憧れ続けてゐたかの方が、「その人」を物語る上で大切なことのやうにも思へるのである。そして大抵の男性にとつて、それは「車」と「女性」にも当て嵌まる。女性遍歴を語ることは遠慮してをくが、カメラの後、いずれ「車」の遍歴を書いてみやうと思つてゐる。