刺青

一月十二日(木)晴 寒し
中野香織さんのブログでベツカムがデザインした下着を自ら着てモデルとして写つてゐる広告を見た。中野さんはそのタトウーに驚いてゐるのだが、さう言へば最近香水の広告でもタトウーのあるモデルが特にその部分を強調した形で使はれてゐたり、香水のフラコン自体にタトウーを思はせる文様が使はれる例を散見するやうになつたことを思ひ出した。
業界誌でそれなりに新しい傾向として取り上げられてゐた訳だから、今まではさほどなかつたことになる。男性用コロンの広告ではモデルがタトウーをしてゐるのは、ゴルテイエを始め暫く前から目にはしてゐたが、最近は女性用香水の女性モデルにもタトウーが登場するやうになつたのである。裸体やセンセーシヨナルでエロテイツクなきはどい写真の使はれることも多い香水の広告でも、タトウーのある女性モデルは最後のタブーだつたのかも知れない。
ピアスの穴も怖くて開けられない余のやうな人間にとつて刺青など論外であり、そもそも何故身体装飾といふものをしたがるのか全く理解できない。自分のさうした身体感覚や皮膚感覚が普遍的であるとも正しいとも思へず、刺青を許容しない社会といふのも因襲に捉はれてゐるやうで嫌な気もするが、自分では刺青を入れたいと思つた事は一度もない。ただ、他人事ながら刺青の似合ひさうな人といふのはゐて、男だつたら北村一樹の背中には龍の彫り物がよく似合ふし、沢尻エリカの腕や足首にワンポイントの花びらでも彫られてゐたら、極めてエロテイツクで妖しい美しさとなるだらうとは思ふ。日本の女性には確かに刺青に適した色艶と湿り気のある美しい肌の人はゐて、刺青とは肌の質と墨の色と紋様の織りなす芸術だといふことは分かるのだが、白人系のパサパサした毛羽立つ肌合ひには刺青といふよりはやはりタトウーと呼ぶしかない、何やら乾いたインクのやうな「線」しか感じられないのも事実であらう。