松のうち

壬辰元旦 天晴
元旦より再び坐禅を始める事とし、朝一炷ほど坐る。読経の後、雑煮おせちを食して新年をN子と祝ふ。其の後徒歩桂公田神明社に初詣に行き、甘酒の振る舞ひを受け、辰の絵の入つた破魔矢を購ひて帰る。午睡の後車にて夕刻N子の実家に行く。保土ヶ谷バイパス渋滞し、車のナビゲーシヨンに従ひて行くに抜け道にて大いに助かる。N子の従妹夫婦など初見の者もあり。五家族総勢十二名にて手巻き寿司の会食。酒は誰も飲まず、主役は小四と六年の男の子二人である。二人のやりとりを聞いては大人が笑ふといふよくある図であらう。九時前辞して帰る。

正月二日(月)陰
坐禅。午前中N子の運転にて買物に出る。午餐の後いたち川沿ひを一時間散歩。戻つて薄茶を淹れ和菓子を食べる。其の後お初香の稽古と書の稽古。黄庭堅「伏波神祠詩巻」の臨書を続ける。夜、からすみを肴に日本酒とウヰスキー水割を呑む。

正月三日(火)晴
八時半過ぎ家を出で上野に向かふ。十時前東京国立博物館に到着。年間パスポートを購入して館内に入る。平成館の故宮博物院名品展に入らむとして三十分待つ。黄庭堅の狂草他書畫の名品並びに至宝の数々を見る。途中階段横の売店に立ち寄り、中国で出版された黄庭堅書法字典を買ふ。文字ごとに黄庭堅の書が収められたもので、自分で黄庭堅風の書をものしたい時に便利だが、見てゐるだけでも楽しい。二玄社から宋四大家の書法字典は出てゐるものの値段が高いのと、やはり自分が一番好きであんな字が書きたいと思つてゐる黄庭堅に絞つた方が良からうと思つての購入。今年は今までになく書に真剣に取り組むつもりである。
今回の特別展の目玉である清明上河図は館内でさらに二時間待ちとの事で諦める。乾隆帝の書斎三希堂は観峯館で見たことがあるが、やはり垂涎の空間である。それにしても中国人の玉や青銅器に対する嗜好は並々ならぬものがあるやうだ。日本人は余り玉には魅かれないのではないかと思ふ。一時過ぎに一度駅近くまで戻り昼食の後再び本館に入り、雪舟の秋冬山水図、大雅の楼閣山水図屏風、道風筆の勅書、元永本古今集などを見る。立ち続けで腰痛を感じつつ名品に圧倒される。さらにミユージアムシヨツプにて故宮展の図録とバーゲンで美術関連書二冊を購ふ。三時過ぎ上野を出で、神田吉祥寺経由で実家に行く。父と酒を汲み交し歓談八時半に到り、辞して帰途に就く。丸二時間かけて帰宅。直ちに就寝。

一月四日(水)晴
車に着物一式を積んでN子の実家に行く。お初香の茶席を担当する岳母の社中の稽古にてA君と義妹K子が茶を点てる。其の後着物に着替へた余も稽古。昼食の後A君に袴の着方と畳み方を教へて貰ふ。帯が一文字でなく片ばさみなれば先日銀座で習ひしものより簡略にて、これなら何とかなりさうである。ちなみに熱心に稽古に通つてゐたA君であるが、初釜を最後に岳母の社中を離れ、裏千家から表に宗旨換へをするといふ。ネツトを通じて知り合つた数寄友達が皆表のため、今後様々なる茶事を通じて茶の湯を極めたくての決意といふ。自ら竹を伐り出して花入れや茶杓を自作するほどの熱の入りやうであり、仲間の去るは残念なるも止む無し。此の日の雑談中にA君も余の大学の後輩たるを知れば尚更也。茶の湯を極めんとせば禅も花も香も含めた室町期以降の日本文化の粋を学ばざるを得ず。A君も其の志と覚悟あるやうなれば頼もしくもあり。余は逆に、さうした日本文化の粋の全体を把握せんが為の一方便としての茶道実践なれば、向きは正反対に見ゆるとも追究するところは極めて近しといふべし。余には免状への興味も淡交会の行事への参画の意思もなく、ただ私事としての茶事を愉しむ為の修行にて、茶会茶席よりも好みの茶道具を揃へたき趣味人の域を出でざるも、茶の湯の精神や茶の文化の理解を主に文献によりて進めたき思ひはあり。茶道に対する態度も人それぞれであらう。
三時半過ぎ岳父の車にて南町田まで送られアウトレツトを見るも目ぼしいものなく、電車にて町田に移動し丸井で買物を為す。余の衣類を物色し、冬物五点程購ひてN子の実家に戻れば既に八時を過ぎたり。急ぎ夕食を取り九時過ぎ辞して帰宅。

一月五日(木)晴
朝六時十五分起床。嶺庵にて坐禅の後入浴。仕事始めなれば出社す。新年早々思ひの他仕事多く幾つか処方を作成し、三時過ぎ退社。帰宅後小半刻読書の後ジムに行く。最近食べ過ぎにて胴回りに脂肪がつきたることを買物の際痛感したれば有酸素運動系を中心に体を動かす。七時半家に戻るに既にN子在り。倶に夕餉を取り、食後は嶺庵にて書の稽古。今日は黄庭堅の松風閣詩巻を臨書。併せてフアツクスで送る筈の如道忌参加申込書も毛筆で書く。今は書が面白くて仕方がない。筆を洗ひ入浴の後就寝。