寒さと若さ

一月二十七日(金)晴
寒し。会社のAさんの話によると、今朝起きたら気温が一・五度だつたといふ。外の温度ではない。目覚まし時計に付属した温度計の数値だといふ。今までで一番低くて驚いたとの話だが、そんな低温で寝てゐられたことの方に周りの人間は驚いた。朝起きて寒いリビングのストーブをつける時にも十度以下になることはまずない。ましてや寝室は夜通しオイルヒーターをつけて寝てゐるが、それでもN子は寒がる程なのだから、一度台といふのはちよつと想像を絶す。鍛へ方の違ひといつてしまへばそれまでだが、大丈夫なのかと心配になる。ちなみにAさんは六十を越えた、定年後に特別勤務員として働いてをられる方である。少し暖かい地方なら、立派にホームレスの生活が出来さうだと皆で冗談を言ふ。
今朝も大船まで歩いたが、今日ばかりは三十分歩いてもからだが暖かくなることはなかつた。人間のからだといふのは繊細といふか柔といふか、五度くらゐの時と、それが二度下がった時とではまるで寒さの感じ方が違つてしまふもののやうだ。今朝は久しぶりに霜の降りた地面を踏んでみた。子どもの頃冬は毎日のやうに通学の途上でさうして遊んでゐた記憶があるから寒さは厳しかつたし、今より遙かに防寒性の低い服を着てゐた筈なのに、これ程寒くはなかつたやうな気がするのはどうした訳であらうか。
定時退社後平塚のスターバツクスにてM君に会ふ。知人の知り合ひの子息にて、調香師になることを希望し、余に話を聞きたいとのことにて初めて面談す。芦屋在住関西学院大法学部四年にてこの春の就職は既に決すと雖も、それも調香師になるべく渡仏する資金を貯める為といふ。礼儀も振る舞ひも好もしき青年なれば、其の儘拙宅に連れ来たり、夕食を倶にしつつ、余の経歴や調香師の仕事の実際、業界のことなど幅広く話す。余も若き頃より多くの年長の方々の懇意親切の恩恵を享受したる覚えあれば、若き人々に出来うる限りの援助助言を与へむことは常々思ひ設けたることなれば、かくの如き機会に、それも余の若輩の頃に比べれば実に清々しき好青年のM君に、知るところの事を話しその行く先の為に益するであらう事など助言を与ふるを得るは余にとりても幸ひ也。息子に近き年の差なれば余計也。十時前駅まで車にて送る。仏蘭西語の習得や渡仏後の専門校への入学、さらに香料会社への就職等先に困難は多々あれど、怖れることなく夢の実現に向け一歩を踏み出せしM君の前途の幸運を祈るのみ。