同級生

二月八日(金)陰
昨年秋に中学の同窓会が開かれた。卒業後三十六年経っての初めての開催であったが、迷った末に私は行かなかった。ただ、事前からネットで同窓会のホームページが立ち上がっていたので、たまに覗いていた。誰がそこを見に来たかも分かるし、住所の不明になった連中のリストもあって、来そうな人たちと、来ることはないであろう人たちの想像はついた。会いたいと思っていた、夢によく見る徳田は足跡を残していたので出席する可能性が高かったが、それでも私は行く気になれなかった。小遣いが足りなかったのである。一次会一万円。それだけでは済まないだろうからそれなりに散財を覚悟しなければならない。三味線の音曲を聴きたくて仕方なかった時期だけに、ちょっと融通がつかなかった。それで、余り良い思い出のない時期だし、今も付き合っている友もないことだしと自分に言い聞かせて行かない理由にしていたのである。
良い思い出もなく付き合いも絶えてしまったからこそ行くべきだったという考え方も成り立つのは勿論だ。今日ふと思い立って久しぶりに同窓会のホームページを開いてみると、同窓会当日の写真が大量にアップされていた。圧巻であった。他人のことを言えた義理ではないが、完全なおじさんおばさんたちである。全く誰だか分らない人が大半だが、もともとよく知らない連中も少なくないから当たり前である。野球部で一緒だった連中とか同じクラスだった人たちは、何人かは判定できた。すぐに分かったのは徳田とあと二人。徳田は来ていたのだ。他の連中は名簿の名前と見比べて最後にはだいたい見当はついた。徳田は若い頃とあまり変っていないが、やはり老けたな。徳田とは就職一年目まではよく会っていたから分かる訳で、中学卒業以来会ったこともなければ、誰だか分からなくても当然である。
すぐに分かったもう一人は、マドンナ加藤眞弓である。あたりを掃うような気品の漂う美しさが今も見てとれ、私はウーンと唸った。行けばよかった。この二人に会えるだけで、一万円以上の価値があったじゃないか。もう一人すぐにわかったのは、社会人になってから一時つき合っていたことのあるN美である。顔の印象は余り変わらず年齢よりは若く見えるが、やっぱり老けたね。彼女の存在も、出席を躊躇わせた理由のひとつではある。ずいぶん昔のこととは言え、私に非のあるちょっと冷酷な別れ方をしていたからである。彼女は今回の幹事の一人だったから、出席するのはわかりきっていた。どんな顔をして出ていけばいいのか、それを考えると面倒になったのである。
まあ、中学の同級生でこのブログを読んでいる者などあり得ないと思うから書けることではある。それにしても徳田は今何をしているのだろう。元気そうで何よりであったが、今も芸能プロダクションに勤めているのだろうか。私の名前をググルと画像を含めいくらでも出てくるが、徳田のフルネームを入れても何も見つからなかった。私は奴には随分世話になったし、片目を失った事故では何から何まで世話をかけた恩があるのに、いつの間にか音信不通になってしまったのである。それを思えば、やはり行くべきだったのだと後悔している。私には昔からこういう依怙地さがあって、それで後になって悔むことが少なくない。