残念

 キネカ大森にて「私をくいとめて」を観た。のん(能年玲奈)は相変わらず可愛かったけれど、映画はいろいろな意味で残念な出来であった。同じ綿矢りさ原作大丸明子監督コンビでの「勝手にふるえてろ」が思いのほか面白かったので期待していただけに残念である。

 まず、登場人物が少なすぎて構図が単純で展開に複雑さがない。恋愛に不器用な女性が、脳内妄想と現実との不整合をいろんな出来事を経て埋めていくという両者に共通するモチーフも、「勝手」では合コンとか同窓会とその後の初恋の相手とのやりとりとか、近所の人たちとの妄想ではあるが「交流」とかいろいろあって面白く観られたのだが、「私を」では事件らしいことは何もなく、のんの「顔芸」が見られるだけという、ファンとしてはうれしいが、さすがに映画としては平板なものになっている。

 原作・脚本とも「勝手」の方が優れていたということなのだろうが、それを引いても、女優としてはやはり松岡茉優の方がのんよりも少なくとも「使いやすい」のではないかとも思えてきて、それも残念である。松岡は嫌いではないが、「勝手」の中の松岡の演じた役は実にぴったりで、きわめて自然に「はまり役」の感じがあり、とても好感が持てた。アマゾンプライム契約時代にわたしはほぼ三回見たほどである。松岡はその後の「万引き家族」も良かったし、若手の女優としてはかなり腰の据わった方なのではないかと思う。実生活ではこんなに不器用でもうぶでもないと思われるのに、映画では性格の悪い部分も含めてきちんとさらけ出せていて、リアリティがあって何とも言えずいいのである。

 それにくらべ能年のこの作品の主役での馴染み感は、あまちゃんは遠く及ばず、「この世界の片隅に」のすずさんや「海月姫」とくらべても、しっくりこない。もっと言えば、「動物の狩り方」や「カラスの親指」の時の、ぶっきらぼうさが魅力だった時代とくらべても、魅力を引き出せていない感じがする。というか、「ホットロード」でかろうじて間に合った、能年の透明感を存分に発揮できる思春期の少女の切なさを感じさせるタイプの映画をもっと見たかったというのが正直な気持ちで、31歳のおひとりさま役ののんを見るのは、そうした作品をさんざん見た後であってほしかったということでもあろう。

 もうひとつ残念なのは、やはり相手の男役の男優である。これまた「勝手」の渡辺大知がはまり役ですっかり好きになり、「色即ぜねれいしょん」でますます気に入ってしまったのとの差が大きい。頼りないけど可愛げのある男優などほかにいくらでもいるだろうに、という感じである。

 さらに、のんの会社の先輩でお局役の臼田あさ美の劣化もきわめて残念であった。もともとメイクで印象がかなり変わる人ではあるが、「色即ぜねれいしょん」の輝くばかりの可愛さとくらべ、何とも言えない気持ちになった。ちなみに、この「色即」の中で臼田が憧れていた人の役を演じたのが峯田和伸で、峯田は「ひょっこ」で初めて見たときからその独特の存在感と懐かしさを感じさせる風貌で大好きになり、さらに「いちごの唄」によって尊敬に変わった。今後も注目していきたい人である。

 最後の残念は、橋本愛である。彼女自身は別に何のことはないが、この映画の中でのんの学生時代の親友である橋本がローマに住んでいて、さらにのんがそのローマを訪ねる必然性というか意味のある理由はまったくないように思われる。ローマでふたりが泣くシーンも意味不明である。或いは、原作の小説ではふたりの間にあった出来事や機微が描かれているのかも知れないが、その辺が映画で描き切れないのなら思い切って設定を変更すべきである。ローマ観光案内のようなシーンは違和感しか覚えなかった。どうしちゃったんだ大丸監督、という感じである。

 

追記: 今ののん(能年玲奈)に演じて欲しい役柄を思いついた。ずばり、出雲の阿国である。男装で凛々しく踊る能年ちゃんが見てみたい。誰か作ってくれないだろうか。そのうえで、もう少し臈長けたら平家物語白拍子を演って欲しい。その頃には少し声が低くなってくれているともっと良い。