化学工業という「悪」

 恥ずかしながら告白する。懺悔と言ってもいい。初めて石牟礼道子著『苦海浄土』を読み終えたのである。高校の時、教師に勧められた。すぐに買って書棚に並べたもののそのまま読まずにいたのである。今回松岡正剛田中優子の『日本問答』と『江戸問答』を続けて読む中で、田中がこの本や石牟礼道子について繰り返し言及していて気になり捜したが見つからなかった。文庫本を大量に処分した際、捨ててしまったものか。やむなく新本で買い直し、読んだのである。その間40年以上放置したことになる。水俣病のまぎれもない原因である有機水銀を垂れ流しながら、恥ずべき責任逃れを続けた日本窒素肥料チッソ)やそれを容認した県や国と同罪と言っていいほどの無関心であった。怠慢であり、意識の低さであり、他者の痛みに対するこの無関心をかくも長く続けてきたことをわたしは深く恥じ、反省している。その間に石牟礼道子さんも亡くなってしまった…。

 今、わたしにはこの本について語ることが出来ない。衝撃と怒り、悲しみや沈思にことばを失い、同時に方言で語られる言葉の美しさに身じろぎも出来ずにいるのである。頭の中に渦巻くものが多すぎて、とても整理がつかない。

 ただ、チッソ昭和電工新潟水俣病の元凶企業)と同じ、化学工業の会社に奉職する身として、反省と自戒の念を強くしていることだけ、書いておきたい。実はわたしの勤める会社も戦時中台湾に別会社を作り、そこでカーバイドを製造し、それからさらにブタノールの生産を予定していた。結果的に、戦局が悪化する中必要な機材が運べずに未完成のまま敗戦となったため操業に至らずに終わったが、もし完成していたら製造のプロセスで水銀を使うことになっていたから、水俣と同じような悲劇を招いていた可能性もある。しかも、戦後になってチッソのような責任逃れと賠償への頑なで被害者に対する悪意ある態度に終始していたら、もしかすると台湾の人々の今日の親日的な態度と全く異なる反日感情を醸成してしまった可能性すらある。想像するだに恐ろしいことである。チッソの従業員の中にも、水俣病患者に寄り添い、会社を糾弾し続けた人たちもいたようだが、化学会社に勤める人間は自社の環境や安全に対する姿勢を他業種にくらべても一段と厳しく監視する使命があると言えるだろう。さすがに、今はサステナビリティSDGsが流行となり、EHSに対する意識は高くなっていると信じたいが、それとて世間の目を気にしてなおざりな「やっている風」になっていないかをきちんと見極め、場合によっては告発すべきものと肝に銘じた。それにしても、石牟礼さんの描く水俣の人々の生き方(死に方か)や思いや魂の重さに、視線を上に向けられずにいる。